もう新たな文化は生まれない

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ときどき、ユーチューブにVHS録画した古いテレビ番組(『ねるとん』とか)がアップされていて、番組だけじゃなくて、CMまでそのままで、ああいうのを見ていると、ものすごく「時代」を感じます。女性のファッションは、ジェルでしっかり固めた前髪、いじらない太い眉、やや白すぎるファンデーション、大きなイヤリング、派手なジャケット、という感じ。男性は、白Tシャツとデニム(吉田栄作の影響か)、紺のブレザーとチノパン、みたいなのが多い。
ファッションには、その時代の空気(流行とか景気とか)が如実に反映されている。1970年代には70年代のファッションがあり、80年代には80年代のファッションがある。これはファッションの専門家でなくても、誰でも直感的に違いが分かります。
音楽も同じで、1950年代から1990年代まで、10年ごとに時代を区切れば、明確にその時代の音楽がある。50年代はプレスリー、60年代はビートルズ、70年代はクイーン、80年代はマイケル・ジャクソンみたいな感じで、時代を牽引するスターがいたし、同時代を生きた他の歌手もその影響を受けて似たような曲を作るから、それぞれの時代の音楽があった。

でも、その点、00年代以降はどうでしょうか。
2026年現在、道行く若者をひとりランダムにつかまえて、いきなり西暦2000年にタイムスリップさせたとする。彼は、人々が手に持っているのがガラケーかスマホかの違い以外、何の変化も見いだせないだろう。ファッションも同じだし、聞いてる音楽も似たり寄ったり。逆に、西暦2000年の人々は2026年から来た「未来人」のファッションを見ても、何の新奇さも感じないだろう。
つまり、西暦2000年から2026年まで、文化の進歩が止まってるんですね。

この現象は、絵画、文学など他の芸術分野でも同じです。
絵画の歴史を軽く振り返ると、光をキャンバスにとらえる印象派が流行し、その反発から、内面を描くポスト印象派が出て、次いでピカソなどの抽象派が生まれた。その後、環境や政治など社会的メッセージを含めた現代アートが生まれたけれども、それ以降、絵画において、新たな潮流はない。
文学では、昭和初期の頃、芥川らの新感覚派が多数の実験的作品を書き、戦後は太宰や安吾などの無頼派が支持を集め、80年代以降村上春樹に代表される都会的でドライな文体が流行した。00年代以降、ケータイ小説、SNS短歌など、新しい試みはゼロとは言わないけれども、大きなムーブメントはない。

どの分野であれ、時代を作るようなムーブメントは、ひとり(あるいは少数)の革新的な天才が作るものです。その天才の真価を理解する同業のライバルが、こっそり作風をパクったり、パクられたりしながら、徐々にムーブメントとなり、真価を理解しない庶民にもその天才の名前だけは聞こえてくる。文化はそんなふうに作られていく。
しかし、21世紀に入って以降の四半世紀で、ファッション、音楽、絵画、文学などのあらゆる芸術分野で、新たな潮流が起こらなかったのはなぜなのか?

陰謀論界隈では、「実はノストラダムスの予言通り、1999年に人類は一度滅亡している。今の我々はバーチャルリアリティ(仮想現実)を生きているに過ぎないため、新しい文化を生み出すことができない。人類の文化の最高到達点は1999年にあり、それ以降の文化的流行は過去の再生産(リバイバル)に過ぎない」などと言われたりする。
無論、デタラメな説だけれども、これを荒唐無稽だと一蹴しにくいのは、「1999年以降人類は新しい文化を生み出せていない」というのが、見事に図星だからだと思う。

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2023年ニューヨークタイムズ紙に『なぜ文化的進歩は止まったのか』(Why Culture Has Come to a Standstill)という論考が掲載された。
「我々は今、活版印刷の発明以来、文化において最も革新性がない世紀として歴史に刻まれるであろう時代の、4分の1を過ぎようとしている」

ファッションであれ絵画であれ、手法的にやり尽くされてしまった、という面は確かにある。しかしそれよりももっと大きいのは、インターネットの影響です。
かつては、物理的なメディア(雑誌、テレビなど)が「今の流行」を教えた。しかしネットの出現以降、時間の概念がフラットになった。たとえばSNSを見る若者にとって、70年代ファッション、80年代ファッション、90年代ファッションは、「10年おき」の区切りではない。スワイプすれば、等しく同列に並んでいる。過去と今、ではないんです。過去と今が融合して、もはや時間が消滅してしまったんです。
もうひとつ。かつて情報発信の王様はテレビだった。その王様のそばに控える一部の巨大企業が「文化」を一方的に与えることができた。しかし今やテレビは玉座から失墜し、人々はアルゴリズムによって駆動されるエコーチェンバー(共鳴室)の中で生きている。音楽が好きな人は、「推し」のミュージシャンの曲をSpotifyでひとり延々楽しんでいる。居間で家族全員と一緒に『ザ・ベストテン』を見る必要がなくなったわけです。こんなふうに、誰もが自分だけの現実をキュレーション(選択、整理)できるようになった。だから、もはや年末の紅白歌合戦を見ても「誰もが知る国民的スター」はいない。今後も出てくることはありません。一部の人から熱狂的に支持される「推し」はいても、それは国民的スターにはなり得ない。構造的に、そういうふうになってしまったのです。

これがいいことなのか悪いことなのか。人々にとって幸せなのか不幸なのか。それは分からない。僕は1980年生まれで、「テレビが王様」の時代に幼少期と思春期を過ごし、20代でネットに触れて、30代でSNSを使い始めたような世代なので、テレビとネット、一応両方の雰囲気が分かります。しかし数十年後、「テレビ黄金時代」をまったく知らない世代が社会を担う時期になったとき、彼らがどんな発想をするのか、興味があります。「国民的スター」がいた時代をうらやましく思うのか、あるいは、「自分だけのスター(推し)」を持ち得なかった時代を嫌悪するのか。

しかし、「世界一のコロナワクチン接種率を達成した」のがこの国であることを思えば、日本においてはまだまだテレビの影響力は健在で、数十年後も状況は大して変わらないような気もします。テレビとネット、オールドメディアとニューメディアが、なんだかんだで並走して、時代の雰囲気を作っていくのかなと。

【告知】
ユーチューブを始めることになりました。
https://www.youtube.com/@dr_atsushi_nakamura
2026年5月30日から配信予定です。
「やらないか?」と誘っていただいて、状況的に何となく断りにくくて、始めることにしたのですが、やるからには真面目にやりたいという気持ちはある。
でも、飽きたらすぐにやめるので、あまり期待しないでください(笑)

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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