体にとって「酸化」は不健康であり、「抗酸化」は健康的、みたいに、僕らは単純化して考えがちだけれども、この手の二項対立はだいたい嘘ですね。
腸内細菌の善玉菌、悪玉菌とか、血中脂質の善玉コレステロール、悪玉コレステロールとか、まるで体の中に、善良な市民と悪逆非道のヤクザがいて、ヤクザを追放すれば社会が健全になると信じているかのようだ。
ヤクザは、社会にとって必要悪なのだよ。警察が介入できない類いの揉め事とか、中国マフィアが日本で好き放題できないのも、表からは見えにくいヤクザの功績だった。
たとえば、いわゆる悪玉菌を殺すために抗生剤を投与する。しかしこれは、ヤクザのアジトを破壊するために核爆弾を投下するようなものだ。なるほど、ヤクザは組織ごと壊滅するだろう。しかし焼け野原には、もっとタチの悪い中国マフィアが進出することになる。抗生剤を使えば、クロストリジウムがはびこる偽膜性大腸炎になる。この菌が強力な毒素を作り、最悪の場合、毒素で腸が穿孔して死亡に至る。ヤクザを駆逐しようとして、世界が滅亡したような格好だ。こういうおかしさは、医療分野のあちこちにあります。
確かに、過剰な酸化は好ましくない。活性酸素(ROS)は細胞を傷つける毒という側面は確かにある。しかし、白血球は活性酸素で細菌やウイルスを死滅させる。活性酸素がなくては、人間はすぐさま感染症で死んでしまうだろう。
活性酸素は、ミトコンドリアのエネルギー産生の副産物として、不可避的に生じる。しかし体には無駄がないもので、この活性酸素は、細胞増殖、血管の収縮、拡張、インスリン感受性の維持など、生理機能を調節するシグナルとして機能している。過剰な抗酸化(過剰な還元状態)は、このシグナルを麻痺させ、ミトコンドリアの機能不全を引き起こす。
あるいは、運動。日光浴。僕は初診の患者には、いつも「運動してますか」「太陽あたってますか」と聞くようにしている。運動により、活性酸素が発生する。日光にあたると皮膚で活性酸素が発生する。一見、体に悪いことに思えるだろう。そう、過剰はよくない。しかし一時的な活性酸素は、細胞の防御力を高めるスイッチになる。ミトコンドリアの生成が促進され、むしろ抗酸化力が高まる。

ある研究者が、乳癌患者から採取した腫瘍サンプルを分析したところ、大量のグルタチオンが含まれていることを発見した。その後の研究で、癌細胞が栄養源としてグルタチオンを利用していることが分かった。研究者は「癌がグルタチオンを利用する能力を阻害することで、有効な抗癌剤を作れるのではないか」と着想した。
これはショッキングです。グルタチオンといえば、善玉も善玉、誰もが「体にいい栄養素」として疑わない。しかしこれが癌を増大させるというのだから、日々の健康維持のためにグルタチオンのサプリを摂っている人からすれば、卒倒するようなニュースだろう。
しかし、まず最初にお伝えすべきことは、健康な人(癌ではない人)にとっては、グルタチオンは癌予防になる、ということです。サプリを継続してもらってかまわない。ただ、すでに癌を発症している人で、グルタチオンのサプリを摂っているなら、すぐに摂取をやめたほうがいい。
「どういうことだ?癌予防に効くものなら、癌治療にも効くはずだろう」と矛盾を感じられるかもしれない。以下に、その理由をお伝えします。

癌細胞は急速に増殖、分裂する。これには膨大なエネルギーが要るし、材料(脂質、アミノ酸、核酸など)も要る。だから、細胞外から大量の栄養素を取り込んで、解糖系でエネルギーを生み出さないといけない。その際に、大量の活性酸素が発生する。正常細胞ならすぐに死滅するほど大量の活性酸素だけれど、癌は細胞内に大量のグルタチオンを蓄積しているので、活性酸素を無効化できる。
癌治療として、抗癌剤や放射線を使いますね。あれは確かに、癌細胞を殺すには有効です(健康を取り戻すのに有効、とは言いません)。抗癌剤や放射線がなぜ効くかというと、活性酸素です。抗癌剤も放射線も、癌細胞に酸化ストレスを誘導して、それによって癌のDNAなり細胞構造なりを破壊しています。
実はビタミンCが癌に効くのも同じ理屈です。グルコースだと思って誤認して取り込んだビタミンCが、癌細胞内で過酸化水素を発生させ、その酸化ストレスで癌が死にます。しかし正常細胞には過酸化水素分解酵素(カタラーゼ)があるので無害です。ビタミンCは酸化剤として機能し、いわばその選択毒性により、癌細胞だけを殺す。
抗癌剤も放射線もビタミンCも、酸化療法という意味では同じということです。
しかし癌細胞を大量の活性酸素で攻撃しても、グルタチオンがあれば、攻撃が無力化してしまいます。
以前、イベルメクチンについての記事で、「癌細胞は鉄が大好き」ということを書きました。
https://note.com/nakamuraclinic/n/n5808ffaae54d
ここにはグルタチオンも関わっています。

鉄は細胞にとって「両刃の剣」で、生存に必須であると同時に、活性酸素の発生源であり病気の発生源でもあるという、二面性があります。
癌にとって、急速な細胞分裂を維持するために大量の鉄が必要ですが、大量の鉄は活性酸素を生み出します。そこで、癌は活性酸素の解毒の仕組みを備えています。細胞内にシスチンを取り込んで、そこから自前でグルタチオンを合成するし、細胞外からもグルタチオンを取り込むし、活性酸素で酸化した脂質を無害化する仕組みまで備えている。これにより、鉄の毒性を無害化しているわけです。
この癌にグルタチオンを投与すれば、どうですか?
癌は大喜びで、グルタチオンを細胞内に取り込みます。
これが、グルタチオンの投与により癌が増大する理由です。
逆に、ここから、いかにして癌を抑制するか、その戦略が見えてきます。

癌は、鉄が必要ではあるけれど、その必要性には限度がある。過剰量の鉄の投与により、活性酸素を大量発生させ、それによって癌を殺すという方法が考えられます。
一方、それとは逆に、癌細胞に一切鉄を与えない。食事は鉄欠乏食にし、鉄キレート剤で体内の鉄を低く保つ。それによって、癌細胞を、いわば兵糧攻めにするという戦略もあります。
両者は矛盾する理屈でありながら、どちらも筋が通っています。
あるいは、グルタチオンを作らせないという戦略。シスチンの取り込みを阻害し、グルタチオンの細胞内産生を阻害する。
あるいは、グルタチオンペルオキシダーゼという酵素を標的にする治療もある。活性酸素により細胞膜の脂質過酸化が進行し、細胞死するところ、この酵素は脂質過酸化を止めてしまう。だからこの酵素を阻害しようという戦略です。
どれも理屈としては納得できる。でも個人的には、どれもオススメしない。
鉄剤を経口とか点滴で大量に入れたり、あるいは逆に、鉄を徹底的に制限したり。こういう極端な治療は、たいてい失敗に終わるというのが、僕の直感です。
シスチン取り込み阻害薬とかGPX4阻害薬とか、この手の薬も僕は信用していない。局所での正解が、全体の正解と一致することはほとんどない。理屈としておもしろいとは思うけれど、まぁ効かないだろうね。
癌細胞が好んで利用するのは、何もグルタチオンに限らない。

たとえば、癌細胞はグルタミンをガンガン取り込みます。グルタミンは核酸、アミノ酸、グルタチオンを作る材料として重要で、癌の生存に必須です。
同様に、癌細胞はタウリンも大好きだし、メチオニンも大量に取り込む。
癌細胞がグルコースを好むことは有名でしょう。癌細胞は正常細胞に比べて、5倍も多くのグルコースを取り込む。PET検査はこの性質を利用したものです。
癌患者のなかには、厳しい糖質制限をする人がいるけれど、いい結果は出ない。むしろ痩せて筋肉が落ちていく。もちろん、砂糖菓子をいっぱい食べるとか、そういうのはヤバいけど、炭水化物ゼロとか極端に走ってはいけない。
誤解して欲しくないのは、栄養素としてのグルタチオンを否定しているわけではありません。癌患者がサプリとして高用量のグルタチオンを飲むことは危険だ、ということは言いたいけれど、食事に含まれているグルタチオンまで避けようとするのは、明らかにやりすぎです。
さきほど、鉄は両刃の剣といったけれど、これは鉄に限らず、ほとんどすべての栄養素に言えることじゃないかな。グルタミンもそうだし、グルコースも、タウリンも。自然に、食事で摂る分には、どの栄養素も問題ないと思っています。