AIの影響

クリニックを開院して、当然、閑古鳥。卒業した大学とも研修した病院とも無関係の土地に、いきなりポンと開業したのだから、こうなることは分かっていた。クリニックの賃貸料とかスタッフの人件費は、アルバイトの収入で何とかやりくりしていた。
「ちょっとした宣伝のつもりで」と思って、ブログを書き始めた。この『院長ブログ』がじわじわとビューを伸ばして、お客さんが来てくれるようになり、やがて経営が安定した。
https://clnakamura.com/blog/

記事を書くとき、頭の中に漠然とした「こういうことを書こうかな」のイメージがあって、キーボードに文字をカチャカチャと打ちつつ、消しつつ、やってるうちに、それなりの医学的エッセーのようなものになっている。

すでに世間の多くの人がChatGPTやGeminiなどのAIを活用しているように、僕も使っている。超知能を無料で使えるのだから、ありがたいことに違いない。しかし、使い続けるうちに、「これはアカンな」という思いが芽生えてきた。
たとえば、ある臨床事例について僕なりの考察を書こうと思った。ある程度書き進めてから、ふと思い立ってAIに聞いてみる。完璧な考察が返ってくる。自分がそれまで書いていたものをコケにするような完成度。圧倒的な知識量に裏打ちされた精度の高い考察。これを見てしまって後では、自分の考察はいかにも拙くて、もはや人前にさらすことが恥ずかしくなってくる。
熱量かけてわざわざ恥をかく(書く)ぐらいなら、「これが答えです」とAIの答えをコピペするなりリンクを貼ればいい。でもそんなことをするぐらいなら、そもそも情報発信する意味がない。そして、書く意欲自体が消える。
完璧なものを目の当たりにしたとき、人が感じるのは、尊崇の念か無力感。そのどちらかなんだな。
AIを礼賛するのは癪だし、無力感を抱えたまま書くのはきつい。それで僕は思いました。「これはアカンな」と。

僕が2018年頃に書いていたブログは、もっと手作りでした。拙い思考過程まで全部読者にさらして、来院してくれた患者からフィードバックを得て、僕はますます自分なりの考察を深める。そういう循環があって、その循環自体を記事にしていました。
AIという超知能がある今、そんな記事を書くことができなくなりました。
恥ずかしくなってしまって。

AIを使い続ければ、人間はどうなるのか。
これは今一番熱いトピックで、毎月のように世界中で新しい論文が出ている。

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https://xenospectrum.com/ai-use-reduces-human-grit-problem-solving/#google_vignette

多くの研究が、AI使用による思考力低下を示唆している。
「自分の頭でものを考える」ということとAIの使用は、相性が悪いというか、水と油のように両立できない。つまり、「本を読んでじっくりものを考える」ということはあり得ても、「AIを使ってじっくりものを考える」というのは形容矛盾ということになる。考える手間を省くのがAIだから。
僕がブログを書くとき、AIを使うと無力感に襲われたのも、AIの「もう考えなくていいですよ」という暗黙のメッセージをひしひしと感じたせいだろう。

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すでに、ネット上にある新規サイトの3分の1はAIが作ったものだという。研究によると、AI生成のテキストでは、「視点の幅が狭くなる」、「文章が過度に無難になる」傾向が見られたとのこと。
事の善悪は別にして、そのうち、ネット上の記事の大半はAIが書いたものという時代が来ることは必至です。文章には書いた人の手垢が宿っているものだから、生身の人が書いたゴツゴツした文章より、性格を持たないAIが書いた文章のほうがむしろ読みやすいだろうね。


よく言われることだけど、「包丁による殺人事件があるが、包丁は悪くない。道具の使い方を誤る人間が悪いのだ」みたいな文脈で、AIについて、「AI自体は悪いものではない。問題は使い方だ」などと言われる。
これ、AIと包丁を「どちらも道具だろう」と同列に並べるのは、ちょっと違うと思う。違うと思うけど、言いたいことは分かります。「問題は使い方」というのもその通りで、同意します。
この道具が、いいか悪いかは別にして、まず、この道具の出現で人間はどう変わるのか、ということで言えば、先述の通り、ものを考えなくなります。
それは、「ものを考える人間が存在しなくなる」という意味ではありません。腕力が必要ない時代なのにボディビルに打ち込む人がいるように、あるいは、電卓があるのにそろばん教室に行く子供がいるように、ものを考える人間は残り続けます。ただ、特殊化あるいは趣味化するということです。そして、特殊化した技術はモテにつながります。マッチョがモテたり、フラッシュ暗算できる人が尊敬されるように、今後は思考力がそういう特殊技能にカテゴライズされるようになります。

「AIのせいで人間がものを考えなくなる。それはよくないことだ」とは思わない。それは、「車のせいで運動不足が増え、生活習慣病が蔓延した」的な話と同じで、「仕方ない」で片づけられることだと思っている。そういうことではなくて、AIがヤバいのは、それが道具というよりは、ひとつのシステムであることです。
普通、道具というとき、道具はその人だけで「閉じている」。包丁という道具を使うとして、その道具の利便性を享受するのは(あるいはうっかり指をケガしてしまうのは)、包丁の使用者だけです。
しかし、AIは違う。たとえば企業がある人の適性をAIを使って審査するとなれば、AIを使っていない人にも影響する。AIを使って監視するとなれば、使っていない人をも監視することになる。つまり、AIは道具というよりは、インフラに近い。多くの人が、社会全体が、AIを使い始めたら、AIを使わない人もその影響を避けることはできない。

こういう革命的な「道具」は、人類の歴史のなかで、複数回登場してきました。活版印刷術は知識の普及に貢献したし、蒸気機関は労働の形態を変えた。電気もそうだし、インターネットも革命的だった。これらは文明の前提条件を書き換えるほどの衝撃だった。AIも同じ系列にある。AIが変革するのは、知的労働そのものの自動化です。

こういう革命的な道具が出現すると、人間は改めて、哲学的になる。人間とは何か、働くとは何か、考えるとは何か。そういう根本的なところに立ち返ることになる。
それは、なぜかというと、怖いからです。政治的な文脈で「保守」「革新」とかいうけれど、生物種としての人間は、基本的には保守的です。現状すでに、生存することに成功している。その事実だけで以て、ひとまず「現状は間違っていない」と考える。しかし、新規の未知な道具が登場したとき、それも、その道具の出現が社会を根本的に変革するのだと分かっているのならなおさら、「本当に大丈夫なのか」と恐怖を感じる。人間はそういうふうにできているんですね。

AIのことを一番分かっているのはAI開発者だけど、AI研究から手を引いた開発者がいる。

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深層学習の基礎を作った「AIのゴッドファーザー」ジェフリー・ヒントン(2024年ノーベル物理学賞受賞)は、2023年に長年勤めたグーグルを退職し、その後AIの危険性について公の場で警鐘を鳴らし始めた。
「まもなく、AIの知性が人類を上回る。そうなったとき、あなたは楽天的でいられますか?あなたは、知性の高い者が知性の低い者に支配されている事例をいくつ挙げられますか?私はひとつしか知らない。それは、母親と赤ちゃんです。進化は多大な歳月を費やして、赤ちゃんが母親を支配する関係性を生み出した。AIと人類の関係性について、私はそうなると考えていない。
AIを生み出してしまったことについて、私は、自分の人生を後悔している。しかし、もし私がやらなかったとしても、他の誰かがやっていただろう」

AIを知らない素人が「AIやばくね?」と言っているのではない。最も深く理解しているAIの生みの親が、AIによる人類滅亡を真剣に懸念している。それは、彼がAIを単なる道具ではなく、「人類史上初めて、人間の知的能力そのものを置き換える技術」として見ているからです。

人類滅亡、という大きな言葉を言われても、なかなかピンとこない。それは僕が素人だからです。しかし、AIによる経済崩壊ということなら、人類滅亡よりは「確かにヤバそうだな」と思う。

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これまで「人間でなきゃできない」と言われていた分野に、AIが次々と進出している。つまり、AIによる失業者が増え、失業者は購買力が低下するので支出を削減し、すると社会全体としては需要が低下する。需要低下を察知した企業は、さらにAI導入を進めてコスト削減を図り、さらに多くの労働者が失業し、、、、というスパイラルが進展する。
AI導入による生産性向上で得た利益は、資本家(株主、経営幹部)に流れ込み、労働者に還元されない。貧富の格差はますます進むことになる。
失業者増加による景気後退は、公衆衛生にも大きな影響を与える。自殺率の上昇、薬物乱用の増加、慢性疾患や精神病の増加、平均寿命の低下が起こる。すでに2008年リーマンショックで確認されていることであり、同じことがAIショックでも起こる。

つまり、AIは人々から仕事を奪い、健康を奪う。短期的には生産性を向上させるけれども、長期的には全然ありがたいものではないということです。

では、このAI時代をどのように生き抜けばいいのか。パランティア(AI企業)のCEOが「配管工になれ(Learn plumbing)」と言っている。冗談ではなく。

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電気、水道、ガスなどを引いたり、あるいはそのメンテナンスは、AIで代替しにくいのです。企業のビルであれ各家庭であれ、それぞれの建物に応じて、電気配線や水道管の配管が違うので、そういう敷設作業やメンテナンスは、AIにデータを食わせて学習させるよりも、肉体労働者に汗をかいてもらうほうが結局安くつく。つまり、そういう肉体労働はAIで代替されず、最後まで残るということです。

かつて産業革命では、機械化の進展により肉体労働者が淘汰され、知的労働者が残ると言われた。今、AIの出現でそれと逆のことが言われているのがおもしろい。

冒頭で、「AIに質問してその返答の完璧さを見ると、なえる」と言ったけれど、これは半分は本当ですが、半分は嘘です。
実際のところ、AIは、ある面においては、まったく無能だと思っています。たとえば、コロナワクチンによる健康被害について聞いてみるといい。あるいは、癌の自然療法について聞いてみるといい。何ひとつ大事なことを教えてくれないことが分かる。
本当は、データとしては蓄積されているんだと思う。でも、出さない。その手の情報は。
AIも結局のところ人が作ったものだから、作った人の意向が反映されている。政治的に不都合なこと、医学的に不都合なこと、「本当のこと」は、全然教えてくれない。
僕が情報発信をする意味があるとすれば、そこにあるし、AIの出現により、「そこにしかなくなった」とも言えます。

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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