いじめられたときには

15歳息子のことで、母親が相談に来られた。本人は不在。
「学校に行くのをしぶるようになって、困っています。最初はうつ病かと思っていましたが、家ではオンラインゲームとかユーチューブ動画とか楽しんでいるようなので、うつ病ではないのかなと。うつ病だと思ってここを予約したのですが、どうも学校でいじめられているのが真相のようです。本人を問い詰めてもはっきり教えてくれないのですが、チラッと本人が言ったり、本人が夫にちょっと言ったところでは、たとえば、机の中にゴミが入れられていたり、机に油性マジックで『死ね』と書かれている。たとえば、朝登校すると上履きのなかに画鋲が入っている。そういうストレスに耐えかねて、『もう学校に行きたくない』ということなのかなと思います。
コミュニケーションはそれほど上手ではありません。診断は受けていませんが、ADHD的なところがあって、この点についても相談しようかと思っていました。勉強は、好きな科目はどんどんやりますが、苦手科目は全然ダメです。せっかく進学校に合格したのに、まさかそこでいじめにあうなんて、親の私もショックです。どうしたものでしょうか」

この手の相談はよくあります。「会社でパワハラにあって困っている」とか、年齢も人生のステージも違うけれど、悩みのジャンルとしては同じで、これに対する僕の答えは決まっていて、「まず、いったん休みましょう」です。「必要なら診断書もお出ししますよ」
上記の少年はよく分かっていて、僕の助言を待つまでもなく、自ら学校から距離を置いた。賢明です。この一事から見ても、きっと賢い子なんだろうなと思います。
これが会社となれば、女房子供の生活を質に取られている格好なので、簡単に「休みます」と言えない。それで必要以上に頑張って、心身をすり減らしてしまう。
これは僕の基本的な考えですが、自分の健康を犠牲にしてまでやる必要のある仕事はほとんどありません。まずは休む。最初は「自分が休んだら会社に迷惑がかかります」とかみんな言いますが、これは多くの場合、単なる思い込み(あるいは洗脳)に過ぎなくて、本人がいなくても会社は全然回ります。いったん休んで、冷静になって、そのうえで、復職するなり、新たな仕事を探すなりすればいい。

そこで僕は、お母さんにこう言いました。
「どうしたいですか?学校を続けたいですか?
続けたいなら、いじめの解決が必要です。まずは本人から聞き取りをして、それを担任に伝えて、いじめっ子の親もまじえて、話し合う。問題をきちんと表面化させないといけません。上履きに画鋲とか、もはやいじめの域を超えていて、必要なら警察や弁護士に相談してもいいレベルの悪質さです。
あるいは、これは僕の個人的な見解ですが、いじめられてまで学校に行く必要はありません。別にやめてもいいんじゃないですか。大学に行きたいのなら、いまどき、勉強ならユーチューブとかすごくいい教材があるし、苦手科目があるならそこだけは予備校に通えばいい。大検で高卒資格だけとって、それで大学受験すればいい」

お母さん
「私としては、学校をやめるというのは考えられません。いわば、こちらは被害者なんです。いじめというデタラメを吹っ掛けられた被害者の我が子が退学して、いじめっ子がのうのうと勉強を続ける。それはあり得ません」

その気持ちはよく分かる。だとすれば、息子さんにきちんと、洗いざらいしゃべってもらわないといけません。どんないじめなのか、相手は誰なのか、複数人なのか。まず、親として現状を把握し、それを担任に伝え、問題解決に向けて取り組んでいくことになる。

この話はここで終わっている。
初診が2023年で、その後の来院がないので、どうなったのか分からない。
話し合って無事解決したのか、あるいは、そもそもだけれど、まず、本当にいじめがあったのかどうか。オンラインゲームに熱中するあまり、学校に行く時間も惜しくなって、それで架空の「いじめ」を捏造した可能性はないか?ゲーム依存の中毒性を考えれば、その線も捨てきれないと思っている。

それからもうひとつ。
僕は職業柄、本音と建て前を使い分けている。上記の患者の例でいえば、僕は「いじめが嫌なら、あっさり回れ右して、学校なんてやめればいい」と言ったけど、これはかなりの部分、建て前です。
むしろ、これを言ったときの、お母さんからの返答こそ、僕の本音です。「なんでうちの子が、いじめられたうちの子が、やめなあかんねん!逆やろが!」
もっと本音を言うと、うちの子(こうちゃん)が同じ状況に陥ったら、僕はこうアドバイスする。
「いじめるんは誰や?ひとりか?複数か?まぁどっちでもええわ。次いじめられたとき、一番ひどくいじめて来る奴のな、ここ、鼻筋のところを、全力で殴れ。問答無用でいい。いきなり殴れ」

「やられたらやり返せ」
人類普遍、と言いたいくらいの、太古からの原則である。現代社会では、被害者が加害者に直接的に報復することは野蛮とされ、他者に委ねることが善とされているけれども、人間の本能からして、これは本当は違うんだと思う。被害者にとってはもちろん、加害者にとってさえ、最も「納得感」のある報復は、被害者からの直接的な暴力だと思う。担任とか第三者から「いじめはダメだぞ」と注意されたとて、「お前は関係ないやろ」というのが本音のところではないか。
とにかく一発殴り返す。
個人的には、いじめ問題の大半はこれで解決すると思っている。たとえ解決しないとしても、少なくとも事態が動く。仮に問題がこじれたら、それこそ退学すればいい。退学の手続きとか事後的な処理はお父ちゃんが全部やってあげるから安心しなさい。
いじめられて、何ら抵抗することもなく黙って退学するのではなく、いじめっ子を一発殴り返したうえで退学するのでは、まったく意味が違う。それは今度の人生を左右するほど大きな違いになるだろう。

世の中には「民主的に行きましょう」「平和に行きましょう」という暗黙の前提があって、それに則って世間は動いている。医者としての自分も、患者にはその線に沿った助言している。でも残念ながら、そういう助言をしてる自分が言うのも何だけど、こういう民主的平和路線はうまく機能しないことが多い。少なくとも、時間がかかる。

まず、本気で相手の鼻っ柱をどつく。それでKOとなればそれでいいし、そっから取っ組み合いのケンカになれば、そこからは頑張れ。
とにかく、いじめられっ子が一発殴り返した。それだけで、事態は一変する。周囲の生徒はもちろん、いじめを「めんどくせえなぁ」と見て見ぬふりしていた担任さえ、こうちゃんを見る目が変わる。「あいつはサンドバックじゃなかったのか」と。

暴力には、人を沈黙させる力がある。恐れる者がいる一方、これまでの非礼を詫びるようにおずおずと近づいてきて、媚びを売ってくる者もいる。そこから新たに人間関係を作っていくのもいいだろう。
でもこうちゃん、暴力に魅入られてはいけないよ。力は、自分の尊厳が脅かされたときにだけ使いなさい。

「かつて太古の時代、身体的な力には実際的な意味があった。しかし文明が発達し、銃火器が発明され車や飛行機が発明された現代において、腕力にも体力にも意味がない」などと言うけれど、これは違う。腕力は意味がある。それは「なめられないために」です。
これは、とても小さい話です。つまらない話です。本当は、人を「なめる」とか「なめない」とか、そんな低レベルな話はしたくない。
でも仕方がない。僕らの本能には、自分より劣った者をあざけって精神的に優位に立ちたい。そういう欲望が残っている。これは、僕ら全員に当てはまります。いじめられっ子という善人と、いじめっ子という悪人があるのではない。状況次第では、いじめられっ子もいじめっ子になり得る。それが人間です。だから、こうちゃんがいじめっ子になって、お父ちゃんが困る可能性も当然あるわけです。

力の何たるかを知るためには、格闘技を習うのもいいかもしれないけど、そこまでする必要はないんじゃないかな。
こうちゃん、やるべきことはひとつだけだから。
自分の尊厳や大事な家族の安全が脅かされたときに、相手の顔を全力で殴ること。それだけの凶暴さと野蛮さを、一抹胸に秘めておきなさい。
まったく、なめるとかなめられないとか、本当めんどくさいよね。
でも、めんどくさいのが人生なんだよ。

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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