特攻隊の話

千原ジュニアのYouTubeチャンネルにお笑い芸人のアップダウンの二人が出ていた。僕は特にお笑いに詳しいわけではないので、知らない芸人だったけれども、話に引き込まれました。

政治的、歴史的に重たいテーマ、たとえば、原爆の悲惨さとか北海道のアイヌ問題とか、お笑い芸人がネタとして扱えば「不謹慎」と批判されそうな事柄を、上手に笑いをまじえて紹介するという、かなり独特な芸風のコンビなんですね。
二人が今のスタイルに行き着いたきっかけは、特攻で亡くなった藤井一中尉の芝居を作ったことでした。

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藤井中尉は1945年5月28日に散華した。29歳でした。
29歳というのは、ほとんどの特攻隊員が20歳前後であることを考えると、かなり高齢です。ここには事情があります。
そもそも藤井中尉はパイロットではなく、飛行学校の教官だった。つまり、自分が戦闘機に乗るのではなく、生徒に乗り方を教えて、「お国のために行ってこい!俺も必ず後から行くから」と、生徒を送り出す側の人でした。
実際のところ、こういう教官が戦闘機に乗ることはありません。多くの若者を戦地に送り込みながら、戦後ずいぶん長生きした。そういう教官が数多くいます。
しかし藤井中尉は違いました。「俺も必ず後から行く」と言った生徒との責任を果たすため、特攻を志願します。しかし何度志願しても、軍はこれを却下した。
その理由として、まず、藤井中尉はかつて中国戦線で右腕を負傷し、操縦桿が握れなかった。操縦できない人を戦闘機に乗せるなんて、さすがの軍上層部もそんな要望は聞き入れない。
もうひとつ、藤井中尉には妻と二人の子供(3歳と生後4か月の娘)がいました。特攻は、死亡率100%の作戦です。軍としては、不幸な未亡人と父なし子を増やさない温情から、あえて家庭を持つ者を特攻させることはありません。

藤井中尉はもがき苦しみました。多くの若者を死地に追いやった自責と、「俺も必ず後から行く」という約束を果たせないもどかしさで、藤井中尉の心は張り裂けそうだった。
藤井中尉の奥さんは、そんな夫の姿をずっと見ていました。ずいぶん言い争いもしました。しかし、何を言っても、どんなことがあろうとも、夫の決心は変わらないのだと悟りました。
1944年12月15日早朝、藤井中尉が基地に泊まり家にいない間に、24歳の奥さんは二人の娘とお互いの体を1本の紐で結び、川に身を投げました。
遺書にはこんな言葉があった。「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分活躍できないでしょうから、一足先に逝って待っています」

こうして、「妻子持ち」ではなくなった藤井中尉は、指を切り血染めの嘆願書を提出しました。
これほどの覚悟となれば、軍としても認めざるを得ない。しかし操縦桿を握れない者を戦闘機に乗せることは、物理的に不可能です。そこで、軍が編み出した苦肉の策が、戦闘機の「二人乗り」です。
ゼロ戦は軽さが身上です。敵の戦艦の機銃掃射をかいくぐり、体当たりして攻撃する。当然、少しでも身軽なほうが有利ですが、軍は藤井中尉の覚悟に敬意を払い、戦闘機の後部に同乗することを認めました。

藤井中尉の遺書
「父も近くお前たちの後を追っていけることだろう。
 嫌がらずに今度は父の温かいふところで、だっこして寝んねしようね。
 それまで泣かずに待っていて下さい。
千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。
 父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。
 では一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待っててちょうだい」

戦後、ある高齢のアメリカ人が知覧の特攻平和会館を訪れた。
「日本人は日本のために戦い、私はアメリカのために戦った。当時はお互いに敵同士だったが、戦争が終わった今となっては、ここに祀られている人たちは戦友のようなものだと思っている。
1945年5月28日のことは、忘れようにも忘れることはできない。あの日、私は駆逐艦ドレクスラーの搭乗員だった。沖縄近海で、複数の特攻機が突撃してきた。1機は撃墜したが、2機目が艦後部に突入して、蒸気パイプが破壊された。戦艦の動力がすべて停止して、あちこちでガソリン漏れの火事が起こった。さらに、別の特攻機が、今度は上部構造物に突入し、艦内ですさまじい爆発が起こった。それからまもなく、ドレクスラーは沈没した。
一緒に乗っていた乗員のうち158人が亡くなり、52人が生き残ったが、私は生存者のひとりだ。
2機目、艦後部に突入したゼロ戦は、幾分奇妙だった。「二人乗り」だったんだよ」



死地に追いやった生徒のために、なんとしても、自分の責任を果たしたい。
そんな夫のために、妻が幼い子供とともに自ら命を絶つ。
いったい、どこの国の話なんだ、と思います。

「歴史を失った国は100年で滅びる」という言葉がある。
こんな先人がいたことを知らない僕らは、亡国の道を歩んでいるような気がします。

https://youtube.com/watch?v=EK1QNj_DOgs%3Frel%3D0

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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