AIによる職業淘汰

ChatGPTやGeminiなどの生成AIは僕もよく使っていて、総じて便利だけど、全然使えないときもある。たとえば、ワクチン関係のことを聞いてもはぐらかすし、癌について、スタンダードではない治療法について質問をしても、満足のいく回答が返ってこない。こういうのは「上からの指示」が入っていて、それについては饒舌に語らないようにできているのだろう。
そういう規制ではなくて、内部的な欠陥というか、ハルシネーションもけっこうあって、とんでもないデタラメが混入していたりする。

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これは僕の経験ではなくて、ニュースだけど、ある弁護士がChatGPTで文書を作成しようとしたところ、存在しない判例がでっち上げられたり、

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野山に生えていたキノコについて、AIは「食べられる」と判定したけど、実際は毒キノコだったり。
AIに対する否定的な見方として、
「AIが万能?とんでもない!質問をテキストに分解して、ネット上で各セグメントの前後に多く書かれているテキストを搔き集め、再構築しているだけ。それを『超知能』だなんて噴飯もの。欧米の金融屋がIT業界とタッグを組んで、煽りステマをしてるだけ」
こういう『AIポンコツ論』を見ると、なるほどなと思う。堂々と「知ったか」をかます。さらさらと、自然と嘘をつく。まだまだAIを全面的に信用することはできないと僕も思います。
しかし今後、ハルシネーションについては改善されていくだろうし、もっと膨大なデータ量を学習することで画像の読み込みの精度なんかも上がっていくだろうから、AIをポンコツだと笑っていられるのは今のうちだけだろう。

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すでにAIの存在が医療分野に及ぼしている影響として、アメリカでは放射線科医を志望する医学生が減少している。人間なら見落とす画像所見でも、AIは見落とさない。読影の精度において、人間はもはやAIにかなわない。だから、そもそも若手医師はそんな分野には行かないというわけだ。

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この流れが、外科に波及するのも時間の問題で、イーロン・マスクは「3年以内にヒューマノイドロボットが外科医にとって代わる」と述べた。
「ヒューマノイドロボットは、『3つの指数の積』の速度で成長する。それは、AIソフトウェアの指数的成長、AIチップ性能の指数的成長、機械的精巧さの指数的成長だ。しかも、その成長は1個のロボットの内部だけで起こるのではない。その成長をすべてのロボットが共有することになる。3年で並みの外科医を超え、4年で世界トップレベルの外科医を超え、5年経てばもはや比較自体が意味をなさない。人々はロボットの発達速度を過小評価している。やがて世界中の誰もが、今の大統領が受けているよりもさらに良質な医療サービスを受けることになるだろう。何も外科のことだけを言っているのではない。そもそも医学部に進学すること自体の意味がなくなるし、これは教育全般についての話でもある」

人間が想像できるのはせいぜい「比例」までで、人間はどうしても「指数的変化」をイメージできない。AIによる医療分野の激変は、あっという間に起こるんだよ。ということをマスクは言ってるんだけど、、、
以前にもどこかに書いたけど、僕は全然違う考え方をしています。
AIの発達がどうのこうのとか、外科医の腕前がどうのこうのとか、そういうのの前に、なぜ手術前提なんですか。たとえば癌だとして、癌の発生メカニズムについて、なぜいまだに遺伝子の突然変異という理屈しかない西洋医学にとらわれているのか。アーユルヴェーダや東洋医学などの過去の膨大な叡智を無視し、20世紀に多大な成果をあげた(いわゆる)代替療法の成果を無視して、それで『超知能』なんて笑わせる。本当に人類の福祉のことを思うなら、そもそも癌にならない社会を目指すべきだし、癌になったとしても、副作用のない治療法を確立すべきじゃないですか。
AIを本気で活用すれば、僕はそういう社会は当然実現できるはずだと思っています。しかしそれをしないのは、「今大統領が受けているよりもさらに良質な医療サービスを受けられる」などと甘い言葉を言っているのは、結局のところ、この人も製薬企業の息のかかったビジネスマンにすぎないからだろう。

幸か不幸か、僕のような医療スタイルはAIの邁進する進路とベクトルが違うから、AIに食われることはないと思っている。ただし、いわゆる普通の医療については、マスクの指摘の通りかもしれない。外科のみならず、医療自体が陳腐化し、医大に進学することが無意味になるかもしれない。あるいは、大学で何かを学ぶという、学問の意味自体が失われるかもしれない。

AI技術の進歩が指数関数的であっても、社会の変化はそうではない。
たとえば、みなさんが脳腫瘍になり、緊急の手術が必要ということになった。幸いにも、ここでみなさんに選択肢がある。「神の手」と呼ばれる脳外科医が執刀するか、マスクの推奨するヒューマノイドロボットが執刀するか。「選べ」となった場合、どうするか。
「ヒューマノイドロボット?何だそれ?聞いたこともない。ロボットに命を任せるなんてあり得ない」ということなら、ほとんどの人が人間の脳外科医に執刀を任せるだろう。機械が何かミスをした場合、どう責任をとってくれるのか。人間は、人間に助けてもらいたい。それが自然な感情で、それはヒューマノイドロボット登場後もしばらく続く。ロボットが圧倒的な成績、たとえば「人間の外科医の手術成功率は60%で、ロボットの成功率は90%」ということなら、誰しもロボットを選ぶだろうけど、そういう明確なデータがない限り、人間はロボットに命をゆだねない。

車の自動運転が普及しない心理的背景にも、こういう感情がある。人間の反射神経では不可能な急停車が可能で、事故率が人間よりも低いと分かっていても、万一事故が起こった場合、どう責任をとってくれるのか。人間が運転手なら、まだしも、責任感という感情を持つ主体が存在する。しかしロボットが事故を起こした場合、いったい誰を恨めばいいのか。この不気味さが残ったままでは、自動運転はなかなか受け入れられないだろう。

こういう心理的な抵抗感のおかげというべきか、僕はマスクが予想するような急スピードで社会は変わらないと思う。「データから見て、これはどう考えてもAI(あるいはロボット)に任せたほうが能率がいいよね」という分野から、じわじわと、そして不可逆に、社会は変わっていくのだと思う。

しかしAIの出現により放射線科医の志望者がいきなり減少したように、誰の目から見てもAIの優越性が明らかな業界は、一瞬で崩壊する可能性がある。

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実際のところ、AI登場の衝撃を最初に食らった業界は、囲碁、将棋界隈である。オペの術後経過は個人差があってグレーの余地があるけれども、囲碁将棋は勝った負けたが残酷なほどに白黒はっきりつく世界だから、誰しもAIの強さを認めないわけにはいかない。
10年前、また将棋AIができて間もない時期には、電王戦(プロ棋士と将棋ソフトとの棋戦)などという興行が成り立った。しかし将棋AIの棋力は瞬く間にトッププロを抜き去り、今やプロ棋士が束になってもAIにかなわない。

僕の個人的な知り合いに、プロ棋士の今泉健司さんがいる。今泉さんはときどき僕と指してくれて、そのたびに僕はコテンパに負かされる。今泉さん、謙遜して「私は将棋しかできないんですよ。あっちゃんみたいに医療はできません」とか言うのだけれど、謙遜のように見えて、この言葉には一抹の強烈な自負が含まれている。「他のことはできないとしても、将棋ならそれなりの自信がありますよ」と。

そう、かつてAIが存在しなかった時代、将棋の難解な局面において、プロ棋士の指す一手が、その局面の「答え」だった。
しかしその役割がAIに取って代わられた。最善手を紡ぎ出すのがAIになり、プロ棋士の存在意義が問われることになったといっても過言ではない。

今後AIがあらゆる業界に進出し、既存の職業が対応を迫られることになる。敵対し淘汰されるのか、共存を模索するのか。
将棋AIが出現して10年。他の業界に先んじてAIの洗礼を受けた将棋界は、AIの脅威をどのように受けとめ、対処したのか。他の業界はそこにヒントを見いだせると思うのだけれど、、、
残念ながら、将棋界は有効な対策を打てないままに、無為に時間だけが経過しているようだ。

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棋戦のスポンサーから撤退する新聞社が出始めた。プロ棋士が将棋を指すこと自体は、経済活動ではないから、社会にとっての富を生まない。しかしそれでも新聞社が棋戦を主催してきたのは、将棋が知的権威の象徴だったからだ。しかし販売部数の減少に伴って新聞社の懐事情も厳しくなり、直接的な利益を生まない棋戦は、真っ先に削られる。これは将棋界の努力不足というよりは、メディア構造の変化の影響だろう。

個人的には、10年ほど前に将棋アプリ『将棋ウォーズ』をやり始めて以後、将棋のファンになった。勝てば楽しいし、負ければくやしい。負けるくやしさも含め「こんなにおもしろいものがあるのか」というぐらいにハマって、毎日のネット対局が僕の趣味になった。将棋に興味を持ち始めれば、プロ棋士の人間性にも興味が出て、いろいろと詳しくなる。棋士同士の人間関係(師弟関係、ライバル関係、世代闘争とか)を知ると、駒と駒がぶつかる「盤上のドラマ」だけではなく、「盤外のドラマ」も楽しい。ここまでのファンになれば、将棋AIがどうのこうのって、あまり関係ない。こういう、僕みたいなファンをどれだけ増やせるかが、ポイントのひとつかなと思います。ちなみに僕の棋力は万年1級で、全然初段に上がれません(笑)

数年前「藤井フィーバー」に世間が沸いたように、スター(あるいは人気者)を輩出できるかどうかも重要だろう。橋本崇載氏はいい感じのトリックスターだったと思うけど、棋界を飛び出して、犯罪者にまでなってしまった。惜しい人材でした。
人気者であるために、振る舞いが奇矯である必要はない。何か独特な、味のある個性がある人。たとえばボクサーの辰吉丈一郎がいまだに人々の記憶に残っているのも、強いことに加えて、彼の圧倒的なパーソナリティがあったからだ。棋士はまじめで寡黙な人が多いから、どうしてもそういう人気者が出にくいんだな。
何も、棋士全員が人気者になる必要はない。数人でもそういう人が出てくれば十分で、業界全体が支えられる。

谷川浩司氏が「棋士には三つの顔がある。それは、研究家、芸術家、勝負師の三つである」みたいなことを言っていた。研究家としての顔は、AIの登場でかすんでしまったとしても、勝負師としてのドラマは人間にしか演じられないはず。棋理の追究だけなら、将棋AI同士の対局を見ればいい。でも一般の将棋ファンはそんなのよりも、勝負師同士のぶつかり合いが見たい。将棋界として、そういうドラマをどれだけ見せられるか、そこが勝負どころでしょう。

米長邦雄が将棋連盟の会長をしていたとき、将棋を小学校の義務教育に取り入れるよう動いていたという。これは名案です。将棋や囲碁は「脳トレ」そのもので、教育的な価値は高い。子供の論理力や忍耐力を鍛えるのにうってつけだろうし、あるいは高齢者の認知症予防とか、企業向けの意思決定トレーニングにも使えるかもしれない。棋士が「思考の専門家」として再定義され、小学校や老人ホームに将棋を教えに行くことになれば、そういうことに喜びを見出す棋士先生もいるんじゃないかな。

将棋界がこのままスポンサーを得られないとなっては、棋士の生活がなりたたない。こういうときこそ政治が動いて、将棋、囲碁を「無形文化財」に位置付ける。政府主催で棋戦を開催し、賞金は文化予算で支援する。能とか文とかの古典芸能と同じ扱いにするわけです。実際、江戸時代には将棋は幕府から保護されていたのだから、突飛な発想ではないと思う。

プロ棋士の対局を「公営ギャンブル化してはどうか」という意見がある。
https://ameblo.jp/shougiayumu/entry-12945492281.html
これも名案だと思った。
もともと縁台将棋とか「賭け」が当然の世界で、「真剣師」なんていう賭け将棋で生活している人が実際にいた時代がある。プロ棋士になるような人は皆、負けず嫌いで、勝負師の側面を必ず持ち合わせているから、自分の勝ち負けに大金が賭けられているとなると、いつも以上に燃える棋士もきっといるだろう。ただ、賭け事となれば、「百万握らせるから負けてくれ」とかイカサマの誘いもあるだろうから、そのあたりを防ぐ枠組みは絶対必要だろうけど。

将棋界に出資する企業や組織がなくなり、プロ棋界が消滅するとしたら、それは、社会が「考えること」に敬意を払わなくなった証拠だとも言える。これからの社会は、すべてAIが答えを出してくれる。「考える?何だそれ。時間の無駄じゃないか」という社会は、思考に価値を見出さない。逆に言うと、将棋界をどう守るかは、社会の品格の話でもある。
将棋の一ファンとして、どんな形であれ(公営賭博の一形態としてであれ)、将棋が存続して欲しいと思っています。

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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