
こんな話を聞いた。
「小学生のとき、牛乳キャップを集めるのがブームになった。牛乳キャップって、今の人は分からないかもしれないけど、牛乳瓶の飲み口のところがボール紙でフタをしてあってさ、そのフタ。最初俺の周りの3人ぐらいで始まったんだけど、まぁまぁの大ブームになって。
するとね、これが通貨として機能し始める。『シャーペンの芯5本と交換して』とか『掃除当番1回代わるからそのキャップ5個ちょうだい』みたいな。なんか為替相場みたいになってくるのよ。
いろんな奴がいて、給食の白牛乳じゃない、コーヒー牛乳のキャップを持ち込む奴が出てきたり、最初はそういうのがすごくおもしろくて。
あるとき、『これ見てみろ、なんかおかしくないか』っていうのがいて、キャップの中央に配られた日が印字されてるんだけど、それが日曜日なんだ。給食がない土曜日とか日曜日の日付がスタンプされたキャップが出回ってて『これはレアだ』みたいな話になる。もう牛乳キャップバブルでさ、『3か月間掃除当番を引き受けてでもレアな牛乳キャップが欲しい』みたいな温度感なわけ。
レアキャップの高騰が続いていて、クラスに一人、そのレアなやつを持ってくる奴がいたから、もうとにかく入手ルートを探そうってことになって、ある日の学校帰り、牛乳キャップ集めを始めた友達数人と計画して、そいつを尾行することにした。すると、田端駅のすぐ手前に『ミルクスタンド』っていう、サラリーマンが牛乳飲んでパン食って、というところがあって、そこのゴミ箱にすごい量のキャップがあった。土曜日のも日曜日のも。友達で電車に詳しいのが『総武線の秋葉原駅の前にもすごい繁盛してるミルクスタンドがあるよ。あそこのゴミ箱だったら山のようにあるよ!」って。
それでレアキャップがとんでもない量、手に入ったんだけど、その瞬間さ、俺はね、何か『終わったな』って。そいつを尾行するまでの楽しかったものも、牛乳キャップのブーム自体も含めて全部、終わったなって。
今まで5,6枚だったときにはあんなに輝いて見えたやつが、200枚とかあるわけ。そうなったら、ジンバブエドルみたいな。もう紙くず同然。『俺たち何してたんだろう』ってハッと我に返って。俺は牛乳くさいボール紙を異様に大量に持っているだけの奴なんだって思って。
次の日からだんだん自分の持ってるコレクションを売りに出した。円高ドル安みたくいうと、牛乳キャップ安はすごいことになってるんだけど、掃除とか給食の当番の権利のやりくりで、キャップを放出したあと、友達に「いっせーのせ!でもうやめようぜ」って。
そんな具合に、ある日突然、牛乳キャップが紙切れになったわけ。乱高下する相場みたいなもので、俺は売り抜けたけど、不良債権つかまされた奴は卒業した後も掃除当番だけは続けなきゃいけないほど巨額の負債をかかえたっていう(笑)」
伊集院光のラジオで聞いたんだけど、笑いながら僕は、この話はけっこう深いものを含んでいるなと思いました。
たとえば、通貨の価値。なぜ皆、金を欲しがるのか。それは、その共同体の構成員が共通の価値観を持っているからです。価値観なんてかっこいい言い方じゃなくて、妄想といってもいい。みんなが牛乳キャップに「一定の価値がある」と妄想を抱いている。その妄想から覚めたとき、キャップはただのくさいボール紙になった。
実際のところ、リアルマネーもそうなんでしょうね。妄想から覚めてみれば、肖像画が印刷されたただの紙切れであり、ただの金属片。でも僕らは、その紙切れを必死に追い求めて、心身を消耗している。
もうひとつ。興ざめな大人のこと。
僕が小学生の頃、ビックリマンシールが大ブームでした。本来『ビックリマンチョコ』というチョコレートのオマケとしてシールがついているのだけど、チョコレート目当てで買う子供はいない。オマケのシールを集めるために、子供たちは皆、買い物に行くたびに親にねだって、ビックリマンチョコを買ったものだった。そこで「ヘッド」というキラキラのシールが当たったときには、友達に大いに自慢する。ブームが行き過ぎて、『ビックリマンチョコ』を買ったものの、「チョコレートを食べずに捨てる子供がいる」ということでちょっとした社会問題にもなった。
そんなときに、お金持ちの息子なんかが「箱買い」(今でいう「大人買い」)するものだから、レアシールをたくさん持っていたりする。こういうのは、「興ざめな大人」のふるまいです。他の子供たちからすれば、「お前うっとうしいからあっち行け」と言いたくなるような存在です。
子供たちは、なけなしのお小遣いのなかから、ひとつ『ビックリマンチョコ』を買って、何が出るかなとワクワクして買って、「やったー!」とか「残念」とか一喜一憂やっている。そこに、大人の経済力を使って偉そうにしゃしゃり出てくるのは「無粋」そのもの。子供たちの流儀に反するんですね。
上記の話でいえば、子供たちだけで牛乳キャップで騒いでるときが一番幸せだった。『ミルクスタンド』に大量廃棄される牛乳キャプという大人の世界に触れたとたん、子供の夢が一瞬のうちに崩壊してしまった。
伊集院の話は、つまらない埋め草みたいな話もたくさんあるけど(笑)、ときどきこういう、子供から大人への境目、みたいな話があって、共感します。
自分はいつ大人になったのか、いつから能率ばかり気にするようになって「子供の世界」を忘れてしまったのか。いつの瞬間とは言えないけれど、その変化は確かにあって、幸か不幸か、僕は大人になってしまった。
でも、自分の中に子供のときの感情も多少なり残っていて、そういうのを刺激される話を聞くと、なつかしさとか寂しさとか、いろんな感情がわいてきます。