
夫はいつも聖書を読んでいて、60年以上、毎日、信仰日誌を書いていました。抗癌剤ベンズアルデヒドの着想が生まれたのは、この聖書がきっかけです。
昭和29年といえば、今から70年以上前のことですが、当時、日本はまだまだ「戦後の続き」という感じで、結核が蔓延していました。どこの病院も結核患者で常に満床で、夫の開業する医院も同様でした。
この頃から、夫は聖書を毎日読むようになりました。そのきっかけが何であったのか、私には想像するよりほかありません。日々押し寄せる患者の大群に忙殺され、ある患者は治癒してゆき、ある患者は亡くなってゆく。生と死が激しく行き交う戦場のような職場で長らく働くうちに、夫の心は消耗していました。夫は聖書のなかに、何か救いを求めようとしたのかもしれません。
聖書を読むようになって2年後、それまで見過ごしていた旧約聖書の列王記下20章が、ふと目に留まった。
「ヒゼキヤ王が死ぬほどの腫物の病にかかり、苦しんでいた。ヒゼキヤ王が神に祈ると、『干しイチジクを腫物に塗りなさい』と告げられ、そのようにして癒された」
この記述を見て、夫は「死ぬほどの腫物とは癌に違いない。そして、イチジクにはその癌を治す力があるに違いない」と直感しました。
そこで、さっそく研究を始めました。
イチジクから出る白い汁がイボ取りに効くことは、昔から言われています。白い汁に有効成分があると考えて、夫はイチジク農家を回り、白い汁を注射器に吸い取って集め、薄めて、有効成分を抽出し、それを繰り返し濾過して、腹水癌のモデルネズミで実験しました。しかし、毒性の除去が不十分だったせいか、この実験は失敗に終わりました。
研究を続けるにはもっとイチジクが必要だと考えて、青果市場で働いていたいとこに頼んで、中東から干しイチジクを輸入してもらいました。発注ミスがあったため、2トンもの干しイチジクが輸入され、全部買う羽目になってしまいました。
干しイチジクは固いので、まず水で柔らかく戻してから、撹拌、吸着、分離を繰り返して濾過し、腹水癌ネズミに投与したところ、なんと、癌細胞が変形、死滅していたのです。夫も私も大いに喜びました。実験動物ではありますが、イチジク抽出液で癌が治った。大きな一歩前進です。
梅雨に入ると、物置に積んであった干しイチジクにカビが生えて、結局2トン近い干しイチジクは廃棄することになりましたが、夫はさらなる結果を出そうと、希望に燃えていました。
秋になり、日吉の農家でいちじくを大量に買いました。抽出作業がどんなものだったか、私にとっても涙ぐましい思い出なので、あえてお話しましょう。
まず、イチジクを潰して10倍の水を加え、一升瓶に入れ、30分以上振り、布袋で濾します。それから再び一升瓶に入れ、炭素を加えて、振る。この振る作業が大変でした。
私は一計を案じて、ミシンを使いました。ミシン上部のベルトを外し、モーターを取り付け、足踏みのところに三角ベルトを固定しました。このおかげで、作業はとても楽になりました。
次に遠心機で沈殿した炭末を遠くから扇風機で乾燥させて、溶媒(アセトン)に乾燥させた炭末を入れます。それを静かに振り、有効物質を移行させてアセトンを除去し、濾過します。これで「イチジク抽出液」の完成です。
これを腹水癌のネズミに注射すると、1週間から10日程で癌細胞は死滅しました。
夫は、思わず「バンザイ!」と叫び、神様に感謝しました。当時5歳の娘は、犠牲になったたくさんのネズミを「かわいそう」といい、庭に墓を作って、毎日拝んでいました。
60年以上前のことです。でも私のなかで、今でも鮮やかな記憶として残っています。
1969年、夫はついに、『抗癌物質製造法』の特許を取得しました。研究開始から10年ほどの月日が経っていました。
夫は自身の作った抗癌剤でたくさんの癌患者を救うことを夢見ていました。そして、近い将来、大量のイチジクが必要になると考えました。そこで、市原市のイチジク農家から大量購入し、製氷工場に保管することにしました。
あわせて、抽出作業も大型化しました。イチジクを潰すために挽肉機を使用し、容器は一升瓶からポリエステル容器に変更するなど、製造方法を洗練していきました。
そんなふうに製造されたイチジク抽出液5㏄を注射器に入れ、副作用がないことを確認するために、夫は人体実験の第1号となりました。歯科医師の私が、夫の静脈に注射しました。なんの副作用もなく、夫は自信を持ちました。
【症例】68歳男性
【主訴】胃癌
【現病歴および経過】大吐血して某病院に入院し、胃癌と診断された。手術を勧められたが拒否し、退院。当院に来られ、イチジク注射を懇願した。
納得と同意のもと、イチジク注射を開始。5㏄から開始し、漸次10㏄に増量するも副作用は皆無。20㏄に増量。注射開始から1か月後、食欲が増し、体重増加。何ら異常なく回復し、4か月後には日常に復帰した。6か月後、胃癌の診断を下した某病院を受診し、内視鏡検査を受けるも癌は確認されなかった。その後、健康に経過し、90歳で老衰で死去した。
イチジク抽出液により数多くの癌患者が治癒していくにつれ、夫はますます自信を深めました。しかし同時に、このイチジク抽出物に含まれる抗癌物質の本態を究明する必要があるとも考えていました。
癌を治癒させたある患者の父親が、理化学研究所に勤務していることから、縁が生まれました。夫はその人に、これまで10年にわたる実験経過や症例データを説明したところ、「ぜひ究明しましょう!」となり、理研の所長に話が行き、すぐに承諾されました。
こうして、イチジク抽出液に含まれる抗癌物質の探索が開始されました。
タイミングのいいことに、ちょうどその頃、「高速液体クロマトグラフィ装置」が開発され、その装置のおかげで、抗癌作用の核心がベンズアルデヒドであることが同定されました。
1972年、今度は某製薬会社から協力の申し出がありました。夫はその協力を受け入れ、動物実験が開始されました。その後、薬品としての試験をすべて終了し、ついに製品化されることが決定しました。
これを受けて、ベンズアルデヒド製剤の内服薬と坐剤による治療が始まりました。
【対象】進行癌で手術不能の患者65人
【結果】有効率55%(内訳:7人が完全寛解、29人が部分寛解、24人が症状安定、5人が症状悪化)
生存期間の延長には確実な効果が見られた。また、副作用は見られなかった。
夫はこの臨床結果をNCI(アメリカ国立がん研究所)に投稿し、1978年その論文が受理、承認されました。1980年にはNCIの機関紙に掲載されました。
その後、日本においても複数の学術誌に発表し、日本癌学会(札幌)で講演しました。国際癌学会(アルゼンチン、ブタペスト、シアトル)でもベンズアルデヒドの抗癌作用について講演しました。1984年夫の論文は再びNCIに投稿、受理されました。
海外での評判を耳にして、日本のメディアも動き始めました。毎日新聞の「記者の目」欄で5回にわたって紙上で紹介され、その後、同社からベンズアルデヒドに関する著書を2冊出版しました。新聞、雑誌、テレビなどでも「世界的抗癌剤発見!」と報じられ、NHKも当院に取材に来ました。その結果、ベンズアルデヒドを製造する某製薬会社の株価が急騰しました。
12の医科大学でベンズアルデヒドの臨床治験が行われ、その結果に現場の医師たちは驚きました。ベンズアルデヒドは従来の抗癌剤を上回る著効率を示し、しかも副作用がほとんどまったく見られなかったからです。
臨床実験の結果が出そろい、それを記者会見で発表することになりました。夫、理化学研究所、製薬会社の三者による記者会見です。抗癌剤ベンズアルデヒドの大々的なお披露目会になるはずでした。
しかし記者会見の前日、突然厚生省から記者会見中止の命令が通達されました。その理由は何も知らされません。ただ、電話一本で、すべてがキャンセルされてしまったのです。
さらに驚くべきことに、その一件から3年ほど経った頃、某製薬会社は「ベンズアルデヒドには抗癌作用が確認されなかった」として、臨床実験終了届を厚生省に提出しました。
そんなふうにして、夫の夢はついえました。権威あるアメリカの研究所の機関紙に二度もその有効性が掲載され、国際癌学会でも発表された抗癌剤ベンズアルデヒドは、何か巨大な力に飲み込まれて、闇に消えてしまいました。
夫はただ一筋に、人類の幸せを願って聖書から学び、抗癌剤ベンズアルデヒドを開発しました。それが、わけのわからないうちに抹殺されてしまったのです。
私も90歳を過ぎました。ここまで元気で長生きしているのは、夫の残してくれたベンズアルデヒド製剤を、癌患者の4分の1量だけ毎日飲んでいるおかげです。私自身の存在そのものが、副作用がまったくないという、生きた証拠です。しかし高齢の私には、ベンズアルデヒドを闇に葬り去った巨大な存在と戦う力はありません。
そこで皆さまの協力をお願いしたい。副作用がない抗癌剤「ベンズアルデヒド」の早期承認に向けて、皆さまにご署名いただければ幸いに思います。

【参考】
「がん患者が真に求める抗がん剤の復権に向けて」(東風斡子著)