いやさか!

講演会の打ち上げなどで、僕が乾杯の音頭をとることがある。
主催者が「それでは、中村先生、お願いします」
乾杯の前に、皆の気持ちを高めるような、総括的な講話が暗に求められているのだけど、僕はこういうのが苦手です。
皆、ビールを片手に持って、僕の話を待っている。ビールを片手に持って、人の話を聞く。そんな不自然な姿勢をみんなにとらせたくないし、それより何より、僕が早くビールを飲みたいので(笑)、話を2秒で終わらせる。
「今日もたのしい講演会でした。それでは乾杯です。カンパーイ!」
話が短すぎて拍子抜けして、それで笑いが起こったりする。

親しい仲間内の飲み会で、さて、全員にグラスが行き渡った。「じゃ、乾杯!」すると、とあるスピ系の女性が、「いや、乾杯じゃなくて、『いやさか』で行きましょう」
僕も空気を読んで、「じゃ、いやさか!」
別に、「乾杯」でも「いやさか」でも、酒が飲めればいい。飲めればいいんだけど、こういうことが最近立て続けにあったので、内心「なんだそれ」と思っていた。
調べてみると、どうもこういうことらしい。
「もともとこのような祝杯をあげる場では、「いやさか(弥栄)」という発声がなされていた。しかし戦後GHQが日本人の精神性を下げるために、「いやさか(=ますますの繁栄)」を廃し、「乾杯」を広めた。無論、乾杯は完敗に通じる。めでたい祝杯の場で「完敗!」と言わせる。GHQは言霊の強さを知っていて、あえて戦略的にこの言葉を広めたのだ」

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「民明書房」という出版社は実在しません(笑)

『さきがけ男塾』というマンガがあった。ときどき、言葉のデタラメな語源を紹介する回があって、これがこのマンガのちょっとした名物だった。小学生が読めば「本当にそうなのかも」と思っちゃいそうだけど、大人が見れば笑うところで、作者のユーモアなんだよね。
この「いやさか」の話にも、民明書房的な空気を感じたけれど、どうなんだろう。実際のところは、分からない。
それで、検索してみた。

日本での「乾杯」の起源は意外に新しくて、明治以降に広まった。
江戸時代末期に幕府の役人が渡米した際、「立ち上がって杯と杯を軽く合わせるしきたりがある」ということを記録していて、江戸時代の日本人は新奇な印象を受けたようだ。
明治に入って、ビールなどの洋酒が普及するようになって、それに伴って「乾杯」的な所作も広まってきた。でも、「乾杯」という言葉はまだ一般的ではなかった。
実際、明治末期、当時同盟関係にあった英国艦隊が来日したとき、歓迎の宴席で、西洋式に祝杯をあげようとなった。その際、音頭をとった日本側代表は何と発声したか?
正解は「万歳」です。
でも、当時の日本人のなかに、「これはちょっと違うな」というのがあったんですね。なぜなら、「万歳」は天皇陛下への祝賀を意味するからです。「もったいない言葉だし、酒を飲む前に言う言葉じゃないよね」という意識だった。それで、「こういう場合、何と言えばいいか」というのが、国語学者の間で真剣に議論になった。1920年代のことです。
そこで、とある学者が提案したのが、「いやさか」でした。

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筧克彦博士「万歳の発声は、めでたい性質のものでなく、『まこと』の響きがなく、ありがたくなつかしみ思う心を起こさせず、濁音が多くて、美感を与えない。それで、祝い声としては、いやさか(弥栄)がよい」

しかし、学者が知恵を絞って提案したすばらしい言葉であっても、肝心の庶民が使ってくれないようでは、言葉は広まりません。
昔、こんな議論があった。「男性器を表現する際、『おちんちん』というのは明るくライトな響きがあって、暗く卑猥な印象がないけれど、女性器を表現する同等の言葉がない。これは女性差別にもつながる重大な問題だ」ということで、やはり国語学者が真剣に話し合ったことがある。結果、『おまんまん』という言葉が提唱されたけれど、全然広まらなかった。
「いやさか」も同じです。言葉は、上意下達式に広がるものではないんですね。
一方、「乾杯」は、昭和初期の新聞に「日本酒で乾杯」との記述がある。乾杯のほうが市民権を得たということでしょう。

そもそも日本において、酒を飲むことは神事でした。食の基本となる米で作られた酒が尊いものとして神様に供されました。神事の最後に行われる直会(なおらい)は、神とともに食べ、酒を飲むことで、神に近づく儀礼だった。今でも地鎮祭や上棟式にその名残があります。
日本の酒宴には、礼講と無礼講がある。礼講は神事としての酒で、無礼講は、そういう礼儀作法を無視した酒です。昭和初期の新聞に、「オリンピックの祝勝会で、最初の一杯目は礼講の締めとして日本酒で乾杯し、その後はビールで無礼講となった」旨の記述がある。
今と逆ですね。ビール中ジョッキを2,3杯いって、ある程度できあがってから、焼酎とか日本酒に入る、というのが現代のパターンですから(笑)
昭和初期の頃には、まだ「神事としての酒」の意識が、多少なり残っていたのかもしれません。

【参考】
https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/culture/ceremony/ceremony03.html


もうひとつ、ちょくちょく気になることとして、この「気」という字。
これを、かたくなに、「氣」と書く人がいて、「なんだそれ」と。
やはり、界隈で同じような説があって、
「米は日本人にとって特別な意味がある。無論、米は日本人の主食であり、氣を養う源である。実際、「氣」のなかには「米」がある。戦後GHQが日本人の氣力をそぐために、つまり、日本人のエネルギーを〆る(しめる)ために、「米」ではなく、「〆」を当てた。つまり、「氣」ではなく、「気」を使わせることで、日本人のエネルギー低下を目論んだ」

これは考え過ぎです。戦後の当用漢字改革の一環に過ぎません。実際、戦前にも「気」の文字は当たり前に使われていました。

ネット界隈に出回る言説として、「戦後のGHQが日本人の霊性を下げるために〇〇をした」的な話は、かなりデマの割合が高い印象です。
でも、すべてがデマだとは思わない。
実際、GHQは日本人の愛国心を鼓舞するような書物を相当数、発禁処分にしたし、精神性を高めるような習慣を禁止した。「武道(剣道、柔道、弓道)が禁止された」などというとデマみたいに聞こえるけど、本当だよ。後に復活したけれど。
神道を解体し、大麻を禁じ、武士道的思想(「修身科」)を禁じ、神話(「古事記」「日本書紀」)を禁じた。つまり、GHQは本気で日本精神を潰そうとしていた。これは間違いないと思います。

だからといって、「いやさかの代わりに乾杯」とか「氣の代わりに気」とか、「いや、それはちょっとね」という感じです。
僕としては、講演会の打ち上げとかで、「いやさか!」でも「乾杯!」でも、どっちでもいい。とにかく早く酒が飲みたいだけなんです(笑)

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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