結婚式をするということ

以前の記事でも言った通り、僕は「結婚という形式には意味がない」と思っているぐらいの人間だから、結婚式なんてもっと意味がない、「こんなんやるのはアホ」ぐらいに思っていた。
しかし妻が「コロナもひと段落したし、そろそろ」というので、嫁さん孝行のつもりで、やることにした。

やることにしたけれども、乗り気になれない。なぜだろう。
まず、「ごっこ」なんだよね。業者に大金はらって、親戚や知り合いを呼んで、非日常を演出して、無理やり「特別な日」にする壮大なごっこ遊び。
ただの自己満足やん。バカバカしい。そういうのはサークルでやりなさい。大の大人がすることじゃない。
みたいな思いも確かにあるけれど、自分の心のうちを正直に見つめると、友達の少なさが露呈するから、というのもけっこう大きいんじゃないかな。

まず、事実として、僕は友達がいない。
だから、妻が「結婚式をしたい」と言ったとき、「いまさら?」というよりも先に、まずこう言った。
「お前は友達が多いからいっぱい来るやろうけど、俺は友達おらへんから、誰も呼べなくて、バランスおかしいことになるで」
仮に結婚披露宴をしたとして、そのときの、新婦の友人の数、新郎の友人の数、そのアンバランスを指摘してるんですね、最初に。
カッコわる。

なぜ友達がいないのだろう。
コミュニケーション能力はそれなりにあるつもり。人と普通に会話するし、ときには冗談も言ったりする。小学校のときは、どっちかというとクラスの人気者だった。クラス委員長とか積極的にやってたしね。
中学生のときも、それなりの友人はいた。高校時代は、進学校に行ったせいで、勉強勉強の毎日で、あれはきつかった。勉強に追い込まれて、友達まで手が回らなかった。あのへんから、人として何かおかしくなった気がする。
大阪で大学生活をしていたとき、ドイツ哲学を専攻していた。「存在とは何か」「意識とは何か」みたいなことをやっていて、我ながら根暗な学問をしていたと思う。ゼミ仲間とか知り合いはそれなりにいたけど、今連絡を取り合う人は全くいない。
当時、彼女みたいな人はいた。うぶな僕はこの人から「女とは何か」ということを強烈に学ばせてもらった。今思えばとても貴重な経験です。でも今どこでどうしてるのかな。全然知らない。
結婚式をするとして、誰か友人を呼ぶとして、呼ぶ人がいないわけじゃない。ただ、呼ぶことが不適切である、あるいは、連絡がとれない。そういう立ち位置の人がけっこういることも確かだ。

一方、妻は、山のように友達がいる。小学生、中学生、高校生のときの友達はもちろん、幼馴染さえ結婚式に来ていた。
妻との対比から思うのだけれど、僕は、友達相手に、本音でぶつかり合うことを、意識的に避けていたと思う。そのせいで本当の友達、何十年ぶりに「結婚式するんだけど来ない?」と連絡できるような友達がいなんじゃないかな。

なぜだろう、何の因果か、僕は、人と意見が衝突しそうになると、すっと身を引く。相手に自分の意志を表明することが、あまりない。いや、ときには冗談交じりの勢いで、芸人ぽく毒づくような言葉を言うことはある。
でも誰かと「意見」という剣で互いに切り合うような状況になると、相手を切りつけようとするよりは、僕は沈黙することを選ぶ。何なら、相手から遠ざかろうとする。剣を握りしめたまま、そのまま立ち去る。友達とケンカしてでも意見をぶつけ合う、という経験をほとんどしてこなかったんですね。
でも妻は違う。この点、僕とは別の人種のようだ。それは、この4年ほど一緒に暮らしていてよく分かった。妻は、意見の違う人に対して、明確にものをいう。きっちり自分の言いたいことを言う。それで人間関係が壊れたってかまわない。言いたいことは、言わずにはいられない。僕はこのメンタルに感心します。「こいつすげえな」と。

多分、本当の絆、何十年ぶりに連絡を取って(「結婚式するんだけど来ない?」)、それですぐに昔のように打ち解けるというのは、過去によほどの心のぶつかり合いがあって、互いのことを深く理解しあった時代がある、ということだろう。そういうベースがあるから、30年の時を経ても、そんな時間をすぐに飛び越えられる。
こんなのは、僕が、逆立ちしたって得られないものです。

尤も、僕にも結婚式に呼べるような友人がゼロというわけではありません。医学部時代、山岳部に所属していました。そのときの友人4人に声をかけたところ、2人は海外留学中(一人はアメリカ、もう一人はフィンランド)で「残念ながら出席できません」とのこと。でも他の2人は来てくれた。

今この記事を読んでいる人はすでにご承知のことと思いますが、僕は変人です。医者なのに「薬を飲むな」「病院に行くな」と言っている。おかしな医者ですね。もっというと、日本国民の8割が接種済みのワクチンについて、「打つな」と言っている。明らかに普通じゃありません(笑)

もちろん、自覚は重々あります。自分は普通じゃない医者なのだと。そのせいで、その遠慮のせいで、かつて同じ山岳部に所属していた仲間にも、連絡を取らなかった。何の関係もない人に「コロナワクチン打っちゃだめだよ」とは言えても、かつての同級生に同じことは案外言いにくいのです。

過去記事を見ると、2020年の初期、まだコロナが今度どうなるかわからないような時期には、連絡を取り合っていたことがわかる。https://clnakamura.com/blog/5533/

彼らは普通の医者だから、当然ワクチンを打っているだろう。そんな彼らに、コロナ禍で連絡をとることは気が引けた。仕事柄、絶対打たなきゃいけないのだから、彼らに「打つな」とは言えない。一番大事なメッセージを言えないのだから、どうでもいい雑談なんてもっと言えない。それで僕のほうからは連絡をとらなかった。
だから、数年ぶりにいきなり、「結婚式をするんだけど来ない?」と誘われたことは、彼らにとって驚きだったと思う。いや、僕だってこんな状況でなければ、わざわざ連絡とらないよ。

結婚式の最後、来てくれた出席者の人たちにご退席いただき、僕ら夫婦が一人ずつお見送りをする。その際、それぞれの出席者に引き出物を渡す。「今日は来て頂いてありがとうございました」などと言いながら。
来てくれた山岳部の友人に引き出物を渡す際、ちょっとした会話を交わし、その後、彼を見送った。
エレベーターに乗って階下に向かおうとした彼は、ふと歩みを止めてこちらを振り返り、僕のほうに駆け寄ってきた。そして、こう言った。「あのさ、ちなみに俺、未接種だからね!」
そこは絶対聞くまいと思っていた事柄について、彼のほうからズバリと言ってくれたわけです。「コロナ禍であつしが言い続けたメッセージ、俺は受け取ってるよ」と。
何かこの瞬間、すごく通じ合った気がしました。

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>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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