カトリックと国体

89歳女性が息子さんに付き添われて、2025年6月11日当院に来られた。
「4月の初め頃から咳が出ました。一晩中咳き込むほどのひどい咳で、仕方がないので病院に行きました。できるだけ病院には行かないようにしているので、主治医はいません。コロナ陽性とのことで、点滴を打ち、それから2カ月家で養生して、最近ようやく落ち着いてきました。
本当にコロナだったかどうかは分かりません。熱はありませんが、単なる風邪にしてはしつこい咳で、妙に長引きました。2か月ほどベッドで過ごすような生活だったので、足の筋肉が弱って、膝の力が入らなくなっています」息子さんが言う。
「私はふだん東京で、母は明石で一人暮らしです。電話でまめに連絡をとっています。思えば正月ごろから母は調子が悪くて、味覚が鈍いとか倦怠感はその頃からあったと思う。
コロナワクチンは打っていません。2021年コロナワクチンが始まったとき、母に電話しました。『今テレビとかで「コロナワクチンを打ちましょう」ってやってるけど、どうなん?』と。すると母は、『大丈夫。打つわけないじゃないの。戦争のときもな、そうやって政府に騙されたんや』。
私に言われるまでもなく、コロナ騒動の胡散臭さに気付いていたんです。母は、先の戦争を知っています。メディアが大本営発表を垂れ流し、政府が国民を戦争に駆り立てた。あの時代の空気を直に知っている。だから、今回のコロナ騒動についても、同じような胡散臭さを感じたんです」
本人
「もともと神戸で生まれ育ちました。神戸には三菱重工があって、明石には川崎重工があって、どちらも空襲で焼け野原になりました。空襲のあった頃は須磨に住んでいて、『女の人と子供は多井畑に逃げろ』ということで、毎晩のように逃げていました。
ある日、機銃掃射というのを初めて目にしました。ゴーグルをつけたパイロットの顔が見えるほどの近い距離で、でもそのパイロットは、私を打たなかった。子供だからということで、打たなかったんだと思います」
神戸で空襲を経験って、『火垂るの墓』そのものの世界ですね。
「ええ、私には兄がいて、そういう意味でも似ています。兄は海軍経理学校にいました。軍艦の艦長になる幹部候補生を養成する学校です。当時、身内がそんなふうに軍に奉公している家は、周囲から一目置かれていて、悪口とか言われずに済みました。言論の自由はなくて、政府に反抗的なことを言う人はスパイとして連れていかれました。子供のときにああいう経験をするのが辛いです。もっとちゃんとした時代に生まれたかった。
空襲のときには、子供心にも『しっかりしないと』『みんなで助け合わないと』っていう必死の悲壮感がありました。そういう感覚が、今回のコロナ騒ぎでよみがえりました。
ワクチンを打った親友が亡くなりました。元気な人だったから、打ったせいだというのは疑いようがない。この2,3年、『人間は結局、何かの形で死ぬんだな』というのを見せつけられた思いです。
ワクチンは打たなかったし、コロナにもかからなかった。それが今になって、変な風邪をひいて、コロナと診断されて、自分でも予想外でした」

ときどき、こういう人間国宝のような人が来院されます。もうすぐ90歳になろうというのに、頭脳明晰で、言葉もしっかりしている。
食事とか生活習慣について、一応問診はするけれど、
「朝はパンです。それはもう何十年も変わりません」
こういう人に対しては、「パンはやめてお米にしたほうがいい」なんて無粋なことは言わない。平均寿命を優に上回り、同年齢の標準以上の生活の質を保っている。その時点で、僕のほうからあまり指導めいたことを言う必要はない。
この人は、「薬は飲みませんし、サプリとか栄養剤の類も飲まない」ということだったけど、そこだけは唯一、節を曲げていただいて、ゲルマニウムをお勧めさせてもらった。


後日、この息子さんとオンラインで話す機会があった。話してみて分かったことは、母上に輪をかけて、魅力的な人生を送っている人だった。

「先生の存在はコロナ禍でずっと気にかけておりました。一昨年、先生のnoteの愛読者で助産師の嫁がキックバックカフェのイベントで先生にお会いしたらしく、『やっぱりいい人だった』と言うておりました。明石のお母さん、いつか先生に診てもらったらいいんじゃないのと勧めてくれたのも嫁です。

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https://note.com/nakamuraclinic/n/n02a2d9d20346

お茶の水クリスチャンセンターで先生がキリスト教信徒相手に講演されていたのを後から知りましたが、実は私はカトリックです。嫁といっしょに20年前に洗礼を受けました。男の厄年が明けた年でした。それまでは神も仏もない身も蓋もない日々を送っておりました。

カトリック信者のコロナワクチン接種率は相当高く、真面目に教会に来られる方のほとんどがワクチンを打たれたのではないでしょうか。前の教皇はPRビデオまで作って、接種すること接種させることを強く推奨されました。『ワクチンを打つことは愛のおこないだ』と。その影響力がすごかったですね。それ以降、教会内でワクチンに懐疑的な声は聞かれなくなりました。

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そもそもカトリックはワクチン全般に懐疑的でした。それは、教義上、堕胎を認めないからです。現在販売されている多くのワクチンに堕胎した胎児の細胞が使われています。それを体内に入れることは、堕胎の片棒を担ぐことになるから倫理的に問題だという考え方が根強くありました。実際、コロナ以前の教導職は、ワクチン接種については『それぞれの良心で判断して』と言っていました。

今回のコロナ禍でも、ワクチンについて深く調べている信者さんがいて、『ファイザーもモデルナも開発段階で胎児細胞が使われているから、これは打つべきじゃない』と言って回っている人がいました。ところが、ちょうど日本でも接種が始まるタイミングで、あのPRビデオです。『あれ?パパさまがファイザーのCMに出てはるわ』ぐらいに受け流せばいいものを、どうせ誰かコピーライターが書いたにちがいない「愛のおこない」発言を多くの信者が教皇の福音メッセージと真に受けてしまった結果、ワクチン懐疑論は教会内で完全にタブーになりました。真面目な信者さんは、本人はもちろん、子どもたちに打たせることも躊躇しなくなりました。

ワクチンというもののコンセプトは、たしかに「愛のおこない」かもしれません。しかし、教皇様には申し訳ありませんが、たとえ安全性に全く問題のないワクチンであったとしても、私にはファイザー社という企業の一商品にそこまで思い入れることはできません。もし、こんどパンデミックになったら(もうそれはないでしょうが)、ローマ教皇には正式な声明として『この商品が適正に開発されたものと考えるなら、ワクチン接種は愛のおこないである。しかし適正に開発されたものではないと考えるなら、接種を控えることが愛のおこないである。つまり、自分の良心に従って打つも打たないも自由である』と言っていただきたいものですね。

私はもともと、大手広告代理店でコピーライターをしていました。入社は1985年。80年代といえば、すぐ『バブルの時代ですよね』と言われますけど、80年代の前半と後半はまったく違います。今日に至るグローバル資本主義の幕開けを告げる『プラザ合意』が85年のことで、その後から日本のバブル期が始まるので、私が就活をしていた頃の日本経済は低迷期にありました。実際、入社前研修でのエライ方からの訓示で、『日本経済はこれ以上成長しない。経済のパイは限られているから、今後は経済成長よりも文化的成熟が求められる。企業に対しても、そういうところで力を発揮できる人材になってください』みたいなことを言われたのを覚えています。 

80年代前半は、コピーライターという仕事が世間で大いにもてはやされた時代でした。糸井重里さんが先鞭をつけましたが、『コピーライター』という肩書きを名乗る人がお茶の間のテレビによく出ていましたからね。”文学少年くずれ”の私は、すっかり広告コピーに憧れを持つようになりました。あの頃コピーライターをしていた人たちは、『モノを売る』なんてことにそんなに興味はなかったんじゃないかな。ただ、広告という枠を使って、自分がやりたいアートや文学をやっている。広告主も一緒にそれを楽しんでいる。何かそんな時代の空気がありましたね。

入社して希望どおりコピーライター職に就くことができて、よしこれからや!と思ってたところで、時代が大きく変わってしまいました。例のバブルが来たんです。手のひらを返したようにコピーライターを取り巻く環境も一変しました。小気味良く商品名を連呼すればモノが売れるようになった。消費を煽る。単純にそれがコピーライターの仕事になりました。バブル到来とともに、一夜にして、文学的なギミックなど求められなくなりました。

空前絶後の好景気のなかで、人々の購買意欲をいかにして焚きつけるか、そんなマーケティングテクノロジーの開発が進む広告業界のど真ん中にいながら、しかし私の心はどこか空虚でした。『変なところに来ちゃったな』という思いがどうしても拭えなかった。80年代前半に見た幻想をひきずるだけで、そもそも私自身、消費というものに興味がもてない欠陥人間なんです。けっきょくのところ、良い消費者が良いコピーライターなわけで。コレオレ買いたいと自分が強く欲望できるから人にすすめられるわけでしょう。

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自分の適性の無さをごまかしながら10年ほどコピーライターとして勤務した後、そこから一転して雑誌の編集者に肩書きを変えました。『K告』というタイトルの業界誌をH堂が発行していて、その編集部に異動になりました。90年代の終わり頃です。

私が手がけるようになってから地味な業界誌が派手なカルチャーマガジンに様変わりし、雑誌は大当たりしました。青山ブックセンター本店の雑誌売り上げ月刊記録を塗り替えたり、NTTコミュニケーションズが特集した『21世紀に残したい本ベスト500』なんて企画で唯一雑誌としてエントリーされたりとか。広告コピーに憧れた”文学少年くずれ”が、ここで本領発揮したというところでしょうか。一部で『カリスマ編集者』なんて言われて、いい気になったりしていましたが、21世紀を迎えたところで、雑誌はカルチャーマガジンから『フューチャーソーシャルデザインマガジン』なる新ジャンルに移行します。

未来社会をデザインする雑誌。私の思いは明確でした。世界を変えたい。デザインの力で世界を変えたい。『世界を変えるプロジェクト』の進捗報告が雑誌のコンテンツになる。リニューアルした新雑誌には、この思いがしっかり乗っていて、読者にもそれが伝わった。これだと思いました。これが自分のやりたかったことなんだと。国産のワリバシを使って日本の森を守ろうとか数々のプロジェクトが誌面を通して立ち上がりました。中でもいちばん夢中になって取り組んでいたテーマが『地域通貨』です。グローバル経済を動かす法定通貨ではなく、自分たちのコミュニティで、自分たちだけで自由にやりとりできるお金がいいんじゃない?という提案を始めたんですが、単に雑誌で旗振りをするだけじゃなくて、実際に地域通貨の実践を誌面上で試みるようになった。

この地域通貨に関する活動がきっかけで、坂本龍一さんと知り合うことになりました。
坂本さんは、『教授』と呼ばれただけあって、探究心と好奇心がすごい人でした。当時は私以上に地域通貨にのめり込んでいて、間違いなく地域通貨研究の第一人者でしたね。つまり経済学者でした。『これは世界を変える』と本気で思い入れていたので、活動の『同士』を求めていた坂本さんとつながりました。“地域通貨推し”の私の雑誌には快く出てもらえたし、『アースデイ』なんてイベントにも地域通貨がテーマだと気軽に出演してくれたし、NHKが地域通貨を特集するドキュメンタリー番組を作って(私も出演したんですが)、そのナレーターを務めたこともありました。本業の音楽がそうですが、坂本さんは世界を変えることに情熱を注ぐ人だったんだなぁ、とあらためて思います。

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カトリックになって、しばらく活動は控えめに大人しくしていたんですが、今また“世界を変えたい病”がぶり返してきました(笑)。おこがましいかもしれないけど、カトリックを変えたい、と思うようになった。バチカンは悪魔崇拝をやっているとか、教皇はDSの首領だとか、ネットでは散々いろいろ言われてますけど、そんなことはどうでもよくて、それを変えたいとかではなくて、何というか、未来のカトリックの可能性の中心に迫りたいんですよね。カトリックって最大の世界線ですから。やりがいがあると思うんですよね。
具体的には雑誌を作ります。
現状、資金のあてもなく、構想だけを練っている段階ですが、この秋にかならず第一号を出します。また一般社団法人を立ち上げて、そこが発行元になるでしょう。

この5年、コロナでいろいろあって、今もみなさん勇敢に戦っているけど、ざっと状況を見回すと、何か(あちら側で)起こったことに対して反応したり、反対したりで、けっきょく対処療法的なことばかりやっているんじゃないかという気がしてなりません。ゴールのない戦略ばかりなのが、何とももどかしい。
ワーッと勢いで声をあげるだけでは、簡単に潰されて、忘れられます。
私は『反ワク』の側に立つつもりはないし、これを大きな声で言ったところでどうにもならないし、新しい政党に期待しても限界があると思う。はじめは小さなことからコツコツとでいいから、大きく育つ可能性をもったプラットフォームが、武道に通じる『構え』が、出来てこないといけないと思うんですね。蹴手繰りをかますように一撃で大きなうねりを起こせないか、なんて考え始めたときに、カトリックが代表する世界線と向き合う『日本人の私』に目覚めたんです。

たとえばウツミンさんは天皇を否定しますが、先生はどうですか?
私は、公立の学校で小学校入学から『日の丸・君が代』にずっと触れないまま大学卒業までしてしまった『戦後民主主義教育』まっただ中の世代です。『反日』と言われても仕方ないくらいサヨク丸出しの教師が担任だったこともある。憧れるべきはアメリカで、いかにダサい日本を捨てるか。それが当時の若者の目指すライフスタイルだったと思います。なーんとなくサヨクがステキに思えるそんな時代の空気を吸って育ってしまったんですね。サヨク思想も戦争に対する抑止力として意味はあったと思いますが、やっぱり何か根本を欠いたまま大人になってしまったという後悔の念が拭えませんでした。
根本って、言うならばそれこそが『国体』だと思うんですね。今どき国体と言ったところで、たいがい『国民体育大会のこと?』と返されるのがオチでしょう。一方で、国体と聞くだけでアレルギーを起こす人たちが今も一定数いますね。まあ、その人たちのことは置いておいて、日の丸・君が代が当たり前になった時代に育った今の若い世代にとっては、国体は聞き慣れないものかもしれないが、抵抗なく分かち合える共有財産になる概念だと思います。

国体とはなんぞやと、里見岸雄を今になって読み始めた私などにこの場で論じる資格はありませんが、案外、『キリストの体』を信じている人たちは、奥深い国体論者になるんじゃないかと思うところがあります。つまり、国体とカトリックを交差させるとおもしろいと気づいたんですね。両者が融合すると、きっと文字どおり『いのち』に関わる化学反応が起きる。最初は苦痛もあるかもしれませんが、それは好転反応というものです。人類が経験したことのない世界平和を実現する『浄化』がそこから始まるのではないかと期待して、化学反応を促進する新しい雑誌を作りたいと思っています。

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私が『国体』に関心を持つようになったきっかけは、他でもない『チマッティ神父』です。あろうことかカトリックの神父が『日本国体』に目覚めるきっかけをくれたのでした。

1926年に45歳でイタリアから来日し、宮崎で活動を始めたヴィンチェンツォ・チマッティ神父。サレジオ会という修道会の宣教師ですが、私の知る限り、坂本さんに匹敵するほどの音楽の天才でした。骨の髄まで日本人になることを願った師は、1965年に亡くなるまでに900余りの曲を残し、そのほとんどすべてが、日本に捧げられたものです。とくに注目したいのが、1940年に発表した『国の肇(はじめ)を讃えて』というピアノ曲。音楽家チマッティ神父は教会では有名ですが、何やらタイトルからして『国体』らしさ(!?)が漂ってくる曲を残していたなんて、私はつい最近まで知りませんでした。西暦1940年というのは、日本の『紀元二千六百年』にあたります。つまり『国の肇を讃えて』というのは、ずばり神武天皇を祝うことを目的に作られた曲だったんです。ソナタ形式で、三楽章それぞれがなんと『天孫降臨』『御東征』『御即位』を表現した幻想曲です。

カトリックの神父が天皇を祝うなんて!最初は目が点になりましたが、私はこの曲を聴いてはじめて『国体』というもののイメージが浮かんできました。なんというか、『万世一系』につながっている日本人である喜びがじわじわ湧き出して心が躍りました。1940年は残念な戦争に向かう時代でしたが、国民の戦意高揚のために書いたのではなく、日本から世界平和が実現することを願ってチマッティ神父はこの曲を書いた。世界平和を実現する日本人の魂の拠り所が『国体』です。15年後の2040年は『紀元二千七百年』です。そのときあらためて、日本のみんなにこの曲を聴いてほしいなと思います。そして、世界のみんなが、この国の肇を讃えることを願います。そんな壮大な夢を叶える雑誌になりたいと思います。

2040年が特別な年になるといいと思います。雑誌は2040年まで刊行がつづくことを目指し、紀元二千七百年を迎える『国体』が、段々と誌面で輪郭を現す歩みになりたいと思います。平坦な歩みではありません。危機を乗り越える歩みです。紀元二千七百年の2040年を目標達成の年とし、天地開闢以来の最大の『国体』の危機を乗り越えたい。

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最大の『国体』の危機とは『少子化』です。子どもは『国体』の支えです。このまま子どもが減り続ければ、国体は崩れます。日本の文化が消滅します。しかし危機に向かって眦を決するというのではなく、『子だくさん』の社会を取り戻すための明るく楽しい国民運動を展開したいと思います。イベントもやります。さっそく今年8月11日に『子だくさん会議』をやります。建国記念の日とちょうど対になるこの日。2040年までに、子だくさん社会が実現することを願う日にしたいです。お盆も控えて、ご先祖もともに祈ってくれるでしょう。

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産まれないと子どもは増えませんね。現在の出生率が大幅に改善されなければ少子化危機を脱することはできませんが、単純に『あと一人』産めたらいいわけです。鍵は『あと一人産んでみたくなるほどお産が楽しくなる』ことです。産めない産まない理由はさまざまでしょうが、世の中では『お産』そのものがますます難儀な厄介ものになっていますね。お産が二度とやりたくない経験なんだったら、あと一人産むなんてありえない。そこが根本的に変わらないと“日本沈没”は現実になってしまうんですが、グローバル企業と結託するマスコミが扇動する世の中では、産めない体、産みたくない心を助長するような、それこそ『陰謀』がはたらいていると言わざるをえません(私が敬愛する第264代ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世は『いのちに対する陰謀』という言葉で警鐘を鳴らしておられました)。無痛分娩に頼らなくても楽しいお産は可能だということを言っていきたいんですが、いまの医療システムの枠の中に収まってたら『難儀なお産』一択なので、みんなが『あと一人』産めるようになるには別の枠組みが必要で、大袈裟じゃなく健康観のパラダイムシフトが起きてこないといけないんじゃないかと思うんです。

先生、ウイルスは存在する派ですか、しない派ですか?
字幕大王は『ウイルスは存在しない』と言い切って、あれは話としてはおもしろいけど、『ウイルスは存在しない』と主張しても対立を生むだけで、これはうまいやり方とは思えない。
私も心の底から『ウイルスは存在するはずがない』と静かに確信しているんですが、知り合いのカトリックの神父さんに『ウイルスは存在しません』と言ってみたら、途端に血相を変えて怒り出して、書類を投げつけられて『帰れ!』と怒鳴られたことがありました(笑) 。 神父さんに協力をお願いするイベントの打ち合わせがせっかくまとまったところだったのに、最後の最後でうっかり“ウイルス不在説”を口にしまったために企画がパーになりました。このときの経験を無駄にしないためにもですね、もう自分の口からは『ウイルスは存在しない』と言わんことに決めました(なのでここだけの話です)。
ウイルスは存在するはずがないと思うようになった、ひとつのきっかけがあります。知り合いのテキサス州在住の熱心なカトリック信者の日本人女性から、コロナ禍が始まって向こうはロックダウンになった頃ですが、悩みを打ち明けられました。現地のカトリック学校に通っている9歳の息子さんから『どうして神様はこんな悪いウイルスなんか作っちゃったの?』と聞かれてどう答えていいか分からないと頭を抱えられました。

たしかに神様は、”森羅万象”、微生物も含めて、すべてよいものをお作りになったはずなのに、なんでこんなウイルスなる悪が存在するんだろう? 私もそのときはお茶を濁すことしかできませんでしたが、いまどきこれほど興味深い神学的な問いはないと思うので、子どもたちは神父さんを見つけたら一斉に同じ質問攻撃をしたらいいんじゃないかと思います。私は言下にしばき倒されてしまいましたが(笑)、子どもが相手だったら立ち止まって考えてくれるでしょう。たぶん多くの神父さんが『私たちが罪深いから神様は試練をお与えたになったのでしょう』とか言いそうですが、子どもを怖がらせるだけで決していい答えじゃないですよね。教会の人ほどウイルスをめっちゃ恐れてましたからね。科学を盲信するタイプが多いのかもしれません。

もし科学より何より聖書を信じる立場だったら、『大丈夫。神様はそんな悪いウイルスを作ったりしないよ』と答えてあげられるんじゃないですか。つけ加えて『もちろん同じ症状で苦しんでいる人たちがたくさんいるけれど、神様じゃなくて人間が作った何か他のものに原因があるんじゃないかな』と言ってあげたら、子どもは自分から真理を見出そうと考え始めるようになるかもしれません。

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ロックフェラーとパスツールの蜜月

19世紀にルイ・パスツールが基礎を固めた科学のパラダイムによって、私たちはウイルスの攻撃に備えて先制攻撃ができるように身体を武装することが求められます。生後すぐに泣きながら打ち込まれる最初の予防接種から、いわば身体は戦争状態に入るわけです。これって、真の平和を求める神様が望んでいることじゃないですよね? 平和をつくるはずのわたしたちの一つ一つの体が戦争状態をやめない限り、世界から戦争がなくなることもないんじゃないか。『キリストの体』も『国体』も核心においてその真理を告げてくれる気がします。私たちは、一つの体なんだから。そういうふうに神様はこの世界やわたしたちの身体をお作りになったと考えたのが、アントワーヌ・べシャンなんでしょうね。

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先生の記事を読んでいると、あるいはこの前先生の診察スタイルを見て思ったのは、先生は戦いから解放するための手立てを処方している気がします。きっと”べシャン流”なんです。そうした良心で現場にいる人もたくさんいると思うので、そういう人の姿勢とか信念が、ちゃんと教会によって支持される世の中になったらハッピーだなと思って、このたび先生に私の雑誌への連載執筆をお願いする次第です。

パスツールを批判するというよりは、ベシャンを浮上させたい。ベシャンについては、欧米人よりも日本人のほうが理解する感性を持っているにちがいないと思います。『日本が蘇らせるアントワーヌ・べシャン』(仮題)に現役のドクターとして取り組んでいただいて、教会が公式にべシャンを認める日が来るのを待ち望みたいと思います。カトリック信者ではない日本人の先生に『ベシャンという隠れた財産があって、カトリック教会はこれを見直すべきだ』と声をあげていただきたい」

パスツールの考えによると、「外の世界には危険な病原体がうようよいて、やられないためにはワクチンで武装する必要があるし、体内に侵入されたら抗生剤で叩く必要がある。病原体に殺されるか、それともこっちが病原体を殺すか。常に、やるかやられるかの勝負だ」という感じで、ずいぶん落ち着かない世界観だ。この世から生まれ落ちた瞬間から、病原体との戦争というわけだから。
天地万物を作った神様が存在するとして、神様は本当に、そんな殺伐とした世界を作ったのか?
違うだろう、というのが上記、元編集者氏の意見です。
僕もこれを支持したい。「生まれ落ちた瞬間から、やるかやられるか」的なパスツールの世界観は、しんどすぎる。気の休まる暇がない。
でもベシャンの考えでは、「食事や生活習慣の乱れにより免疫が乱れて体内環境が悪化し、それにより病原体が生じる」つまり、病気は体の内側から来るということにある。
言われてみれば確かに、こっちのほうがカトリックの世界観にフィットしてると思う。清貧の生活、つつましやかに暮らすことで、体内の平和が保たれ、健康が達成される。健康は、決して病原体との戦争の勝利により達成されるのではない

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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