ベシャンとパスツール

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Louis Pasteur (1822~1895)

ルイ・パスツールは、1843年パリの高等師範学校に入学し、1846年に博士号を取得した。当初は化学を専攻したが、才能が見られず、指導教官の一人は彼を「平凡」と評した(5段階評価で3.2)。
まさか、この平凡な学生が後に、酒石酸の性質の解明分子の光学異性体の発見低温殺菌法(パスチャライゼーション)の開発ワクチン(狂犬病ワクチン、コレラワクチン)の開発など、関連性のないバラバラの分野で輝かしい業績を挙げ、「近代細菌学の開祖」と呼ばれるほどのビッグネームになろうとは、当時の指導教官の誰もが予想できないことだった。

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Antoine Béchamp (1816~1908)

アントワーヌ・ベシャンは1850年、34歳でストラスブール大学の教授になった。
1854年彼は発酵現象(fermentation)が大気中の微生物によって起こることを証明し、1855年科学アカデミーにて「冷水にカビが生えれば甘蔗糖が発酵するが、この因子は初等真菌である」と発表した。
チーズやワインなど、フランスの人々は大昔から発酵の恩恵にあずかってきましたが、それが微生物(カビ)による現象だとは誰も知らなかった。これを初めて指摘したのが、ベシャンだったのです。
パスツールは1854年、ベシャンと同じ大学の理学部化学科の教授になった。同年、パスツールが自らのパトロン探しにパリに行っている間、ベシャンがパスツールの代わりを務めた。
まもなくして、パスツールはリールへ移り、新たに理学部の学部長として教授に就任した。そして、なぜか自身の専門外である発酵の研究を始め、1857年、パスツールは研究成果を発表した。それは先行するベシャンの発表と実質同じものだったが、ベシャンの業績への言及は皆無だった。

19世紀、シルクを生み出す養蚕業はフランスにとって極めて重要な産業だった。
1854年末、ベシャンはモンペリエ大学の化学と薬学の教授に就任し、蚕がかかる二つの病気「弛緩病」と「微粒子病」の研究に着手した。養蚕業にとって、この二つの病気による経済的損失は莫大なものだった。彼は、この研究を、財政的援助もなく、自らの着想だけで行った。1865年ベシャンは微粒子病の寄生的な性質、および蚕を健康に飼育するための必要な条件について、地域の農業担当者へ報告した。1867年、弛緩病の原因は、彼が「mycrozymas bombycis」と名付けた微細な寄生虫であると科学アカデミーに報告した。これは微生物に起因するとされた最初の感染症である。この報告は地方新聞(『ル・メサジュ・デュ・ミディ』)に掲載された。
1865年、パスツールは蚕の病気の研究のためアレへ移動した。このとき、彼は蚕の病気について何も分かっていなかった。1867年パスツールはベシャンの微粒子病の研究を非難した。「病気の本質は、体質によるものである。原因微生物が蚕卵や蚕虫の外に存在するなどとは、なんと大胆な嘘であることか。こんな説を唱える者は狂人である」
しかし1868年にはパスツールはベシャンの説が正しいことを知り、大臣や学者など重要人物向けの著述に取り掛かった。その内容は、微粒子病の原因が寄生生物によることをパスツールが発見したこと、また、弛緩病は独立した病気で、このことは「非常に重要であり、私の研究以前には全く知られていなかった」ということだった。
1870年パスツールは蚕の病気の本を出版し、これをユージェニー女帝に献上した。もちろん、ベシャンを引用したことの記述はない。
数年後、帝政が滅びると、パスツールはフリーメーソンと交流を持つようになった。彼らのおかげで、パスツールは養蚕業を救済したことを理由に、年に1万2千フランの国家報奨金を与えられた。

1880年代、ベシャンはリールのカトリック大学の学部長だった。ベシャンは、自身の発見がパスツールに先んじていたことを各種科学出版物で公表した。パスツールはこの動きを見て、ベシャンを脅威とみなすようになった。まもなく、ベシャンに対して「唯物論を教授している」との批判が起こり、1888年彼は引退を強要された。

パスツールの犠牲者はベシャンだけではない。カジミール・ダベヌも犠牲者だった。彼は、動物も人間も罹患する炭疽が、細菌感染によることを示す画期的な方法を編み出した。パスツールはこれを自分の業績として発表し、ダベヌの名前は歴史から忘れ去られた。さらにパスツールは、炭疽のワクチンも自分の業績とした。炭疽ワクチンは、1880年以前、すでにトゥサンが考え、試験済みだったが、パスツールはそのテーマを盗み、急いでいくつかの実験をし、トゥサンのワクチンの安全性は自分のものより劣ると主張し、自分の手法を勝ち誇って発表した。しかしそれに使用したのは、トゥサンのワクチンだった。
リヨン獣医学校の教授であったビクトル・ガルティエは、1879年に狂犬病ワクチンの理論的基礎を確立していたが、1885年パスツールは狂犬病ワクチンに関するガルティエの研究成果を自分の研究として、科学アカデミーに提出した。

つまり、現在パスツールの業績とされるものの大半は、他の研究者の盗用だった。発酵や蚕の病気はベシャンの業績であり、人獣共通感染症および炭疽はダベヌの業績であり、狂犬病ワクチンの開発はトゥサンとガルティエの業績であったが、パスツールは彼らの研究をことごとくパクって自身の研究として発表した。

僕は思うのだけれど、パスツールという人は、恐らく自分で発見したり成し遂げたりしたことは、何一つとしてありません。酒石酸の研究も、光学異性体の発見も、誰かの盗用なんだろうなと思います。
苦心惨憺、魂を削るような苦労の果てに、ようやくついに、何か偉大な発見をした人は、自分に誇りを持っている。自分に誇りを持っている人は、他人の業績をパクったりしない。「すまん!発酵と蚕についてはベシャンの仕事をパクったり、狂犬病はトゥサンの仕事をパクったけど、信じてくれ!酒石酸の研究だけは本当に自分がやったんだ!」と言われたって、そんな言葉は信じられない。
この人は、空っぽだった。フリーメーソンに入ったり権力者にすり寄ったりスポンサーを探すのが上手だっただけの、ただの詐欺師なんだと思う。
結局のところ、パリの高等師範学校の指導教官が若きパスツールに対して下した「平凡」という評価が、一番正確だったということだろう。

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https://note.com/nakamuraclinic/n/n731009b43d96


ただの詐欺師が、歴史上の偉人として教科書に載っている。おかしな話だと思うけど、それだけなら、さしたる実害はない。でも、パスツールが残した最大の実害は、パスツールの影響力です。その輝かしい名声のために、パスツールの『病原体病因説』が後の時代のスタンダードになってしまった
実際のところ、パスツール以前には、ベシャンの『テラン(terrain)説』や、クロード・ベルナールの『内部環境の固定性(ホメオスタシス)』など、「病気は体の内側より生じる」という考え方も健在だったが、パスツールの成功は、彼らの名声をおとしめた。ひいては、医学部での教育、研究の方向性、一般大衆の健康と病気に対する意識をも変えることになった。パスツールの実害は、まさに、この点にある。
いまわの懺悔だろうか、パスツールは死ぬ間際に、「病気は微生物のせいではない。本当に大事なのはテランだった」と認めたという話があるが、病原体病因説が支配的な現代において、こんな小話に耳を傾ける人はいない。

僕としては、パスツールへの過大評価を訂正することは、今さら求めても仕方ないと思う。ただ、ベシャンの名誉回復はぜひとも行われるべきだと思う。パスツールのはかりごとにより大学の職から追放され、その著作は誰にも顧みられない。自身の研究がパスツールの功績ということになっている。これでは、ベシャンがあまりにも気の毒だ。

【参考】
『プライマル・ヘルス』(ミシェル・オダン著)

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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