なぜ医者になったのか

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本を出版するとなれば、事前に編集者とのやりとりが何度もあるものです。まず本の全体的な構成をお互い話し合い、僕が原稿を書き、それを編集者が校正、レイアウトして、それに対して僕が意見をし、という具合に何度もラリーをして、ようやく本が完成します。
コロナ禍でワクチンの危険性を訴える本をいくつか出したけど、今回、栄養についての本ということで、ようやく本業の本が出せた。コロナ禍で僕を知った人は、社会活動家だと思ってる人もいる。本業は一応医者ですよ!(笑)

具体的にどういう内容にするか、オンラインで打ち合わせをしていたとき、編集者氏がこんなことを言う。
「本を手に取る人のなかには、すでに中村先生を知っている人もいるでしょうけど、知らない人もいます。そういう知らない人に向けて、ちょっとした自己紹介の文章を入れてもいいと思います。たとえば、なぜ医者になったのか、あるいは、どういう経緯でコロナワクチンの危険性を訴える活動をするようになったのか」

なぜ医者になったのか。
就職活動のときに「なぜ我が社を希望するのか」と志望動機について聞かれるものだけど、僕はこの手の質問が苦手です。それは、答えに必ず嘘が混じるからです。就職活動をする人は、まさか「御社は大企業でネームバリューがあり、給料も高く、福利厚生がしっかりしているからです」などと言うわけにはいかない。本音をどこかに隠して、当たり障りのない答えを言うことが求められている。採用担当者は、そういう一般常識があるかどうかをも含めて入社希望者を値踏みしている。

なぜ医者になったのか。
もともと僕は医学部どころか、理系でさえなかった。大阪大学文学部でドイツ哲学を専攻していた。卒業論文はフッサールの現象学について書いた。できれば大学院に行きたかったけど、ちょうど父親がリストラされて、そんな経済的余裕はない。「就職活動してくれ」と言われたけど、ちょうど小泉改革による就職氷河期の真っ最中で、どこも拾ってくれない。そこで初めて、「将来食いはぐれのない医者を目指そう」と思い立った。「人の命を救いたいから」とか高潔な志なんて、かけらもない。

なぜ医者になったのか。
つまり、本音をあっさり言うと、「将来の行き先に困ったから」。あるいは、「医者になるしかないから、医者になった」。それだけのことなんだ。
たとえば法学部に入学したって、将来弁護士になることが約束されているわけではないけれど、医者は、医学部への入学が、ほぼそのままイコール、医者という仕事への就職を意味する。入学する学部の選択が、そのまま職業の選択とイコールになっている学部というのは、他に例がない。だから、ほとんどすべての医者は、就職活動を経験したことがない。「なぜ医者になったか」なんて問われたこともないし、たまに上司なんかに飲み会の席で聞かれたとしても「バンバン稼ぎたいからです」なんてことを言っても「正直だね」と笑いが起こるだけ。誰に何をとがめられるでもない。

なぜ医者になったのか。
しかし、いざ、編集者氏からこのように聞かれると、どう答えたものかと悩む。この場では「人の命を救いたいから」系の優等生みたいな答えがふさわしいのだろうけど、僕の性分として、あまり露骨な嘘はつきたくない。かといって、「食うに困ったから」と本音をいうのもはばかられる。
だいたい人の行為というのはすべて、後付けの正当化ではないかと思う。たとえば、FaceBookの創設者のザッカーバーグが、「なぜFBを作ったのか」と問われて、「世界中の人々に発言の場を提供し人々をつなげたいから」みたいなことを言うわけだけど、もともとFBはハーバード大学のかわいい女子学生を見つけるために作ったものだった。こういうのって、どこの会社も同じようなものだろう。今や世界的企業になった任天堂はかつては花札と麻雀牌を作る会社だったし、様々な業種に進出するDMMは当初はエロビデオの配信サイトに過ぎなかった。でも今、これらの会社のホームページで会社概要を見てみるといい。実に立派なことが書かれている。当然、後出しジャンケンのきれいごとです。

なぜ医者になったのか。
そう問われて困った僕は、バカ正直に、だいたい上記のようなことを言いました。「答えに嘘が混じるので答えにくいです」と。編集者氏は笑って、しかしその後、「でも先生、以前の記事で、栄養療法を始めた動機について書かれていました。あれは本音ではないですか?」

そう、僕は精神科医になった。大学時代に哲学をしていて、人間とは何かとか、存在するとはどういうことか、そういう「物事の本当」に興味があって、そのつながりで、人間の心を扱う精神科を選んだ。フロイトが患者に催眠をかけて、心の深いところに降りて行って、トラウマを探り当て、患者の精神を癒す。そういう治療ができればすばらしいなと思って。
でも実際の精神科医療の現場は、僕のイメージとは程遠かった。精神分析どころか、ろくに会話することさえない。「お薬出しておきますね」で終わり。他の内科などでも似たり寄ったりだけど、精神科には西洋医学の矛盾が特に顕著に表れている。

そもそも西洋医学というのは、人間の体をバカとみなします。血圧が高い。薬で下げてやろう。コレステロールが高い。薬で下げてやろう。眠れない?じゃ、睡眠薬。気分がへこんでる。抗うつ薬で上げてやろう。
ものすごく単純な世界です。放っておいたら血圧やらコレステロールが上がってしまう、体というこのバカを、薬で矯正してやる。症状を薬で消してやる。これが西洋医学なんですね。

西洋医学は、戦場で生まれた医学だから、救急疾患には有効です。たとえば交通事故で、心臓が止まり、呼吸が止まっている。このままでは死んでしまう。そこで、心臓を強制的に動かし、循環を巡らせ、呼吸を復活させる。この対処が奏功して、見事に生還することがある。西洋医学の強みは、救急です。逆に言うと、これしかない。
西洋医学を慢性疾患に適用すると、不幸が起こります。なぜ血圧が高いのか、なぜコレステロールが高いのか。その原因に目を向けず、症状を悪とみなして、数字だけを整えようとする。このアプローチは長期的には破綻します。いい結果を生みません。

この矛盾が最も強く出るのが精神科領域だと思っていて、たとえば降圧薬を長く飲んでも、その人はその人だけど、統合失調症の薬を長く飲むと、その人がその人ではなくなります。僕は、これがたまらなかった。なるほど、薬は確かに効く。幻覚や妄想を抑える。自傷他害のリスクがある急性期には薬の投与もやむを得ない。しかし薬を長期に服用すれば、精神が変容する。その人の本来の人格は、生きながらにして、どこかに消えてしまう。自分の処方した薬で、つまり、自分が投与した毒で、その人の人間らしさが失われて行くのが、僕は耐えられなかった。時間をかけて、患者を殺している。自分の手がどんどん汚れていくみたいで、恐ろしかった。

他に何か方法はないだろうか。情報を模索するなかで、オーソモレキュラー栄養療法に出会った。薬ではなく、ビタミンで不調が改善するならこれほどすばらしいことはない。患者にとって喜ばしいのはもちろんだけど、僕が救われるんだ。毒を薬と偽って投与しなくて済むのだから。

なぜ医者になったのか。
「人の命を救いたい」なんて高い志は持っていない。ただ、患者に害を与えたくない。それだけのことだけど、わら一本の矜持です。自分のなかに、そこだけは、というのがあるとすれば、この一点です。

>中村篤史について

中村篤史について

たいていの病気は、「不足」か「過剰」によって起こります。 前者は栄養、運動、日光、愛情などの不足であり、後者は重金属、食品添加物、農薬、精製糖質、精白穀物などの過剰であることが多いです。 病気の症状に対して、薬を使えば一時的に改善するかもしれませんが、それは本当の意味での治癒ではありません。薬を飲み続けているうちにまた別の症状に悩まされることもあります。 頭痛に鎮痛薬、不眠に睡眠薬、統合失調症に抗精神病薬…どの薬もその場しのぎに過ぎません。 投薬一辺倒の医学に失望しているときに、栄養療法に出会いました。 根本的な治療を求める人の助けになれれば、と思います。 勤務医を経て2018年4月に神戸市中央区にて、内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー療法を行う「ナカムラクリニック」を開業。

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