「北海道の田舎で生まれ育ちましたが、子供のときから、『衣服には魔法がある』と思っていました。パッとしない人がおしゃれな服を着るだけで、その人のオーラ全体が華やかになる。そんなふうに、着る人の魅力を高める服を作りたいと思っていました。
高校のときにファッションデザイナーになろうと決めて、20歳で上京しました。何のつてもなく飛び込んだブティックの先生のもとで4年間修業して、アパレルメーカーの企業デザイナーになりました。会社をいくつか転々としました。デザイン部門を任されたり、プレタポルテ(高級既製服)を手がけたり。
でも、どこに行っても、流行やメーカーの意向、売り上げの数字に振り回されていました。デザイン上の制約も多く、何より「売れること」が最優先。気が乗らないまま仕事をしていると、体が先に悲鳴をあげた。朝起き上がれない日々が増えてきました。
つらい日々のなか、唯一楽しかったのが、パーティドレスのデザインです。外交官の友達に頼まれたのが最初だったかな。そのうち口コミで広まり、「私にも作って」と声がかかるようになりました。仕事の傍らでやっていたので、1シーズンに3着ほどしか受けられませんが、そのデザインをしているときだけ、「自分」を生きている気がしました。
これ以上金もうけのためのデザインはしたくない、自分らしさが出せるオーダーメイドの仕事がしたいと、37歳の冬にヨーロッパに行きました。ブリュッセルにはEUやNATOの本部があって、各国の大使が集まっています。そこにも外交官の友達がたくさんいたので、ウェディングドレスやパーティードレスなどのオートクチュール(高級注文服)を手がけるようになりました。
「体のラインをいかにきれいに見せられるか」が僕のこだわりだったので、パターン(型紙)を起こすことから始めます。素材を選び、ミリ単位で布を裁ち、工夫を凝らして縫い上げる。それら全ての工程を、月に数枚のペースでゆったりできることが、僕は何よりうれしかった。オートクチュールは裕福な人が自らのステータスを誇示するための服なので、予算も潤沢です。一人のお客さんの満足のために、心行くまで創作活動に打ち込めました。
先祖代々高い地位があり、十分なお金を持つエスタブリッシュメントたちに囲まれて、僕もいつのまにか「金をどれだけ持っているか」に価値を置く世界の住人になっていました。実際、当時の僕は、すべてを手に入れていました。やりがいのある仕事、自分の家、好きな人と一緒にいられるぜいたくな暮らし。子供の頃に描いていた夢、「有名なデザイナーになって、お金持ちになって、ぜいたくな暮らしがしたい」という夢を、それなりに叶えたと思っていて、十分幸せな、満ち足りた日々を送っていました。
忘れもしない、1991年3月18日、僕は旅行の準備をしていました。ブリュッセルの自宅からロンドン経由でアメリカに立ち寄り、日本まで行くという旅程で、荷物をスーツケースに詰めていました。ふと、時計を見ると午前10時で、そのとき、いきなり「言葉」が頭の中に飛び込んできた。
「いま、あなたが何でもできる存在だとしたら、何を望みますか?」
とっさのことで、何も浮かびません。何でもいいやと思って「身長を175㎝にして」
「はい、ダメ。次」
思いつくままに、つまらない願い事をしたのですが、
「はい、ダメ。それから?」
声はたたみかけるように聞いてきます。
「新しい服のデザインを見せて」というと、頭の中に映像が浮かびました。
僕はいつのまにか仕事部屋にいて、ボディ(人台)にはズラリと、新作の服がかかっていました。
「わぁ、すごい」
おもしろくなってきて、「空を飛びたい」
すると、空から地上を見下ろす自分がいました。
「月に行ってみたい」
すると、一瞬にして月にいて、月から地球を見ている自分がいました。
夢まぼろしではない、ありありとした現実感があって、僕の胸は高鳴りました。全身の血が沸き立ち、細胞のひとつひとつがはじけ飛ぶような高揚感です。
「そうだ、やっぱり、好きな人と幸せになりたい」
いきなり場面が切り替わり、僕は美しい浜辺で、パートナーとリラックスして寝そべっていました。でも、僕らだけ。
「他の人はどうしたの?」
「他の人がどうなろうが、どうでもいいでしょう」
「そんなことない。僕らだけの幸せって自分勝手だよ。それぐらいなら、こんなのは全部要らない」
そう答えると、すべてが突然終わりました。
時計を見ると、午前10時。1分たりとも時間は進んでいなかった。部屋の様子も何も変わってない。
「時間のないところに行っちゃった。頭おかしくなったのかな」
不思議な「声」とのやりとりはその後も3週間ほど続き、僕はあるメッセージにたどり着きました。
声の内容をまとめると、おおよそ以下のようになります。
「地球は今、転換期を迎えている。このままバランスを失ってもう一度やり直すか、大きく前進して調和の時代にシフトするか。あなたはどちらの道を選ぶのか?前進するとしたら、何をするのか?」
僕は、物質社会の恩恵を享受していたとはいえ、二人だけで幸せになれるとは思っていませんでした。人は人とつながり、人に生かされている。だったら、あらゆる人々との調和の道を選びたい。今までと同じことを繰り返すより、どうせならステップアップした新しい世界を見てみたいと思いました。じゃあ僕は何をすべきなのか。そもそも僕は何者で、何のために生きているのだろう。
あの声を聞いてから、考え、悩むようになりました。あんなに好きだった服作りにも、まったく身が入らなくなりました。酒が飲めなくなり、肉が食べられなくなりました。仲間とも話が合わない。パートナーは心配してくれたけど、僕の変化を理解はしてくれませんでした。
「みんながこのままの生活を続けると、地球が持たない」
「未来に続く地球にするために、あなたには何ができるのか」
あの声は誰なのか。なぜ、自分の身にあのような現象が起きたのか。
先ほども言ったように、僕は物質文明のなか、何不自由なくぜいたくに暮らしていました。特に自然派志向というわけでもありません。北海道の山奥で育ち、都会に憧れて上京したぐらいですから、当然です。だから、地球や自然環境がどういう状況に追い込まれているのか、関心がありませんでした。
しかしあの声をきっかけに、僕は勉強を始めました。聖書や仏典などの宗教書、ニューエイジ関連の本を読み、精神世界のセミナーがあれば、ヨーロッパであろうがアメリカであろうが、どこへでも出かけました。瞑想などのワークショップにも参加しました。世界の聖地やパワースポットにも足をのばしました。太古の森では、生き物たちと一緒に呼吸をする自分を感じました。木や岩と対話することもしょっちゅうでした。大自然の真っただ中に身を置くと、人の感性はどんどん研ぎ澄まされていきます。見えない気を感じ取ることができるようになります。
マチュピチュの古代遺跡で、不思議な体験をしました。石造りの静寂にたたずんだとき、自分がまわりにスッと同化して、それが果てしなく広がり、宇宙そのものになった感覚にとらわれました。沖縄にある御嶽(うたき)や奈良の磐座(いわくら)でも同じことが起こりました。自分のなかに眠っていた命の秘密がどんどんよみがえってくるようでした。
僕には服作りよりも、もっと大きな使命が与えられているんじゃないだろうか。世界中を行脚して、自分の中に降りてきたイメージを人々に伝えること?みんなをヒーリングで癒すこと?それともインドで修業を積んで、聖者になろうか?
いろいろな可能性を思い描きながら、自分探しの旅は続きました。でも、何もわかりませんでした。人の考えていることが分かったり、突然ヒーリング能力が身についたりもしましたが、でもだからといって、自分が何者かという答えにはなりませんでした。
答えが出ないまま、いつしか2年が過ぎました。
しかし長い放浪の末に、僕はいろんなことに気づきました。人間のエゴが争いの世の中を作り上げてしまったこと。便利さを求めるあまり、自然を壊し生態系をおびやかしていること。人間以外の動植物は自然と直結して生きているのに、人間だけが自然の一部だということを忘れて不自然な存在になっていること。
僕は、自然の息づかいや大いなる宇宙意識とつながる感覚を、太古の森や遺跡で体感しました。自分という存在の意味を、魂が揺さぶられて思い出したように思いました。自分がどこから来て、どこに行くのか、何をして進んでいけばよいのか、おのずと分かるような気がしました。
地球という命が続いていくためには、人間も「自然」の一部であることを思い出すしかない。エネルギースポットに行かなくても、特別な神秘体験ができなくても、みんないつも自然のパワーを感じて、温かい命の調和に包まれていられたなら、、、そのとき、僕の中で何かがひらめきました。
「服でそれをやりたい」
僕が20年以上服作りに関わってきたのは、服が好きだからです。着た人が笑顔になり、きれいに見えるのがうれしかった。もっと、その先にある服作りを目指したい。自然の感覚がよみがえる服。命が喜ぶ服。自分の本質が輝き出す服。
服は、木、土、水、風、そして太陽という、自然界のエレメントを寄り集めてできています。その本来の服を身に着ければ、自然に抱かれているのと同じです。服はかつて「薬」であり、心も魂も癒していました。
霊性を高める服を作りたい。
欲望を満たすのではなく、精神が豊かになる服。
まとっているだけで体がいきいきとして、能力が開花する服。
着る人が内側から輝き出せば、自信がわいてきます。本来の生き方ができるようになり、地球レベル、宇宙レベルで物事を考えられるようになります。どんな服を作ればいいのか。「自然をまとう」というイメージはあります。
まず、エネルギーの強い布を探そうと思いました。自然がテーマなので、シルクや綿、麻などの自然素材で、草木染のもの。そしてもう一つの条件は、機械織りではなく、手織りだということ。僕は様々なヒーリング体験を通じて、人の手には大きな力が宿っていることを実感していました。
ヨーロッパの国々を回りましたが、化学染料の工業製品ばかり。
日本の静岡県に、手つむぎの手織りの布を作る人がいました。草木染のすばらしいものでしたが、値段もすばらしい。とても手が出ない。
僕が作りたいのは、誰でも買えて、気軽にそでを通せる普段着です。以前のようなオートクチュールではありません。だって、一人でも多くの人に身に着けてもらって、気付いてもらわないと、「もつ地球」にシフトしていけないので。
布を探し始めて2年。あの不思議な体験から5年が経ち、1996年になっていました。
1991年に受けた一連のメッセージのなかに、「1996年1月28日に、ヘイタテジングウへ行け」という声がありました。聞いたこともない名前だったので、友人に聞いてみると、「幣立神宮?阿蘇にあるよ。パワースポットで有名だよ」
幣立神宮に行く途中、輸入雑貨店を営む人と知り合いました。エネルギーの強い布を探しているというと、「タイのチュンマイにすばらしい草木染めがあるから一緒に行きましょう」と誘われました。
その布を見たとき、「これだ!」と思いました。強い気が布全体から放たれています。それは、北タイ周辺に住む山岳民族が「いざり織」で織った生成りのヘンプでした。その他にも、藍染や、ミャンマー産の綿にも強く惹かれました。
「やっと見つけた」
長い間探し求めてきた布と、ついに巡り合えたのです。
「この布で、自然に癒され、霊性を高める『命の服』を作ろう」
僕は、はやる気持ちを抑えきれずにいました」
「あいをよる おもいをつむぐ こころはひとつ」(さとううさぶろう著)より引用
ときどきヘナ染めに行くヘアサロンがあって、そこの店長が実際に「うさとの服」を着ていて、「この本、おもしろいですよ」と紹介してくれた。
一読してわかったのは、あきらかにこの著者は、神様に動かされている人ですね。泉大津の南出市長もそうだし、鵜川さんもそうだけど、メッセージや行動に力がある。
著者のメッセージはシンプルで、「服によって世界をよい良い方向に変えていこう」ということだ。
それで、京都にあるうさとの店に行ってきました。試着室で着た瞬間、「このまま着て帰りたい」と思いました。
そのまま店を出ると泥棒なので(笑)、会計のために一度脱ぎましたが、会計後また着ました。体感がよかったからです。服の上下を買ったのはもちろん、ふんどしも買いました(笑)
以来、うさとの服は僕の普段着になりました。
生地が厚いので、夏はさすがにTシャツ、短パンスタイルになるだろうけど、それ以外の時期はこれで通そうと思います。
